信仰の証し「『幸いなるかな』と響く声」

菱川かおり

最初、私の持病の発作が起きたのは、今から6年前、上の子供が1歳のころでした。

ある夜、「どうしたの? どうしたの?」という声で目が覚めました。なぜか肩がものすごく痛くて、関節が外れています。横で子供が泣いているのに、私が全く反応しないので、家族が起こしてくれたんです。

今では睡眠中に発作が起きたんだろうと説明がつくのですけれど、その時は原因がわからなくて。子供を腕まくらしていたのがよくなかったのかな、という話で終わりました。でも、数年後にも同じようなことがありました。何かおかしいなという気はしましたが、日ごろの疲れからだろうと思っていました。

しばらくしたころ、私の母が「多系統萎縮症(いしゅくしょう)」という、小脳が萎縮していく進行性の難病だと診断されました。母のために、私たち家族は実家の近くに引っ越して、私は日中、母の介護をする日々が始まりました。

以前はリハビリの仕事をしていたので、介護も抵抗なくできると思っていました。でも介護と育児の両立って、すごくストレスフルなんです。自分のペースでは何事も進まないし、目の前の母はだんだん歩けなくなり、食事も難しくなってくる。呂律(ろれつ)が回らなくなり、何を言っているのかわからない。

それで時には、いろいろと要望してくる母に対して、「ちょっと待っといて!」と、きつく当たってしまうこともありました。

もっと心を込めて、慈愛に満ちた介護をしたいって思っていたのに、理想と現実の自分とのギャップに、大きなストレスを感じていました。大事な家族なのに、ふと、「いつまで続くんだろう」と思ってしまったり。そういう心になる自分が許せないんです。そうやって、自分を追い詰めてしまっていました。

母の所に介護に行きはじめて1年くらいたったころ、私の3度目の発作が起きました。

その日はすごく疲れていて、どうしても晩ご飯を作れません。主人にお弁当を買ってきてもらって、私がキッチンまで歩いていった時でした。突然、バターンと後ろに倒れてしまったんです。緊急搬送されて、初めて「てんかんの疑いが高いです」と言われました。

検査結果が出るまでほんとうに恐ろしくなりました。「自転車で保育園の送り迎えをしている時に発作が起きたら……」と思うと、怖くてしかたありません。

「守ってください、守ってください」と祈らないと、とても心が保てない。吐きけがして立っていられない。毎日、朝になると、「今日は発作が起きるんじゃないか」という不安に襲われます。そうやって思い詰めるほど恐れが大きくなる、という状況でした。

そんな時に、幕屋の日曜集会に集いました。そこで読まれた聖書の箇所が、今は「祝福の山」と呼ばれている丘にイエス様が登って弟子たちに語られる、有名な場面でした。司会者がその前から読みはじめると、「いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、”てんかん”、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった」(マタイ福音書4章24節)とありました。

「てんかん」という言葉を見て、「なんで今日に限ってこの言葉が……」と思いました。でもその後に続く、「悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう」(5章4節)という言葉を読んだ時、「ああ、これはイエス・キリストが私に話してくださっているんだ!」という思いが込み上げてきたんです。

それまで不安と恐怖が渦巻いて、真っ暗な中にいましたけれど、「キリストが私を祝福の山に呼んでくださったんだ」という思いがウワーッと迫ってきました。

その時、「幸いだ、菱川かおり。悲しんでいる者は幸いだ。慰められるであろう」と、キリストが私に御声をかけてくださるのが聞こえたんですね。 

最後に祈ったら、ガラッと自分の心が変わってしまったんです。家に帰る電車の中でも、「幸いなるかな、幸いなるかな」という声が響いてきます。うれしくてうれしくて、スキップして家に帰りました。

しばらくすると、その声が小さくなっていくんです。でも、もっと神様の声を聴きたくて、神様の懐に帰れることがうれしくて、とにかく祈っていました。

それまでは「病気をなくしてください」という祈りをしていましたけれど、「弱い自分のままでも、あなたがいなければ生きていけない者にしてください。いつもそばにいてください」という祈りに変わったんですね。

次の月曜日、母の所に行きました。

「お母さん、すごいことが起きたんだよ。私、祝福の山に登ったんだよ」と言って、母に伝えたんです。

そのころ、母は寝たきりで、ほとんど会話ができなくなっていました。でも、母が嗚咽(おえつ)して私の話を聞いてくれたんです。母に対しても、キリストが声をかけて慰めてくださるのが、目に見えるようにわかりました。

それからは、介護が変わりました。「残された時間は少ないかもしれないけれど、私も母と一緒に天を目指したい。母を天に送る備えをしたい」という思いになったんです。手島郁郎先生の聖書講話の音声を聴いたり、信仰のことを話したりして、祈りつつ介護をすることができました。

母を天に送るまでの半年間は、苦役ではなく、ほんとうに神様の恵みの時でした。

母の告別式で、元気なころの母が集会で話している映像を見ました。幕屋のイスラエル聖地巡礼で神様に出会った時のことを、涙ながらに感謝して語っていました。

不器用で、人に誤解されることも多い母でした。でも、キリストが母をとらえてくださったからこそ、母は下を向くことはなかったし、最後まで闘病生活を走り抜けられたんだな、と思いました。

あの日、キリストが御声をかけてくださった時から、私の新しい人生が始まったんだ、と感じています。

今でも日常を生きていると、浮き沈みはあります。でも、キリストが私にも「幸いなるかな」と言って、神様の懐に立ち帰ることを教えてくださった。

まだ治ったわけではないけれど、この病気を与えられたことで、神様と共に歩む者とならせてくださってありがとうございます、という思いです。

Profile
生活での楽しみ
子供たちと思いっ切り遊ぶこと
今、ハマっていること
医療系、法律系のドラマを観ること
得意料理
エビフライ、春巻き、唐揚げ


本記事は、月刊誌『生命の光』876号 “Light of Life” に掲載されています。

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