エッセイ「心を伝える」

畑瀬牧人

私には3人の小学生の子供がいる。

日本人としての誇りをもって育ってほしいと願って、子供たちに歴史を語りつつ、先人の心を伝える取り組みをしている。

祝祭日や記念日はいちばんいい機会だ。建国記念日には神武天皇のことを話し、共に国旗を掲げる。敗戦記念日には散華された方たちのことを語り、共に黙禱をささげる。しかし、もっと心から実感できる伝え方ができないか、と思っている。

それについて、私は一つの体験を思い出す。

聖書の国・イスラエルに滞在していた時のこと、あるユダヤ人の家庭を訪ねた。11人も子供がいるご家族で、狭いアパートを子供たちが走り回り、幼稚園のようなにぎやかさだった。

ふと、あふれかえっている洗濯物に気がついた。横にいた10歳くらいの女の子に話しかけた。
「洗濯が追いつかないみたいだね」
「今は洗濯しちゃいけないのよ。『喪に服する期間』だから」

その日は、「神殿崩壊日」の数日前だった。

イスラエルは歴史上、2度にわたって同じ月の同じ日に神殿が破壊され、国を失った。それは民族最大の悲劇の日として記憶され、千数百年間、民は世界じゅうを流浪しながらも記念しつづけてきた。

この記念日の数日前から、ユダヤ教徒は肉を食べず、髭もそらないなど、さまざまなことを控えて喪に服する。厳格な宗教家だと、洗濯もしない。
「そうなんだ……。どのくらい洗濯できないの?」
「9日間よ」
「えーっ、それは大変だ!」

その後に言った、女の子の一言が忘れられない。
「でも、神殿が崩壊した時は、もっと大変だったのよ」

ハッとして、まだあどけないその顔を見つめた。その女の子は、目の前の大変さより、はるか昔の人々に思いを寄せていた。

このご両親は、家の中がめちゃくちゃになる9日間を毎年過ごしながら、先人の思いを確実にあの女の子へと伝えていた。

ユダヤ民族は1948年、約1900年ぶりに国を再建した。20世紀最大の奇跡ともいわれるその出来事の背景には、親から子への連綿とした心の継承があったことを思う。

私が親になってみて痛感するのは、長年にわたってつながれてきた日本人のバトンは私たちの手に託されている、という現実だ。このバトンを次の世代に渡しきるまで、心を伝えるための模索は続く。


畑瀬牧人
『生命の光』誌編集員。九州生まれの大阪育ち。子供たちの質問がだんだん高度になり、歴史を勉強し直している43歳。


本記事は、月刊誌『生命の光』823号 “Light of Life” に掲載されています。