信仰の証し「神様のみわざは、成る ―知的障害をもつ息子を通して祝福が―」

藤本恵子

私は、義父が始めた創業64年の貸おしぼり会社で働いています。この工場では知的障害者も雇用し、私はその担当者として長く勤めてきました。

去年から、夫に代わり私が代表を務めることになりました。経営にまで携わるとは思いもしなかったです。障害者担当として裏方で働いてきましたが、私は6人の子を産んで育ててきた、普通の主婦なんです。

でもその子育てを通して、私はキリストの神様に祈るようになりました。それは、次男が知的障害をもって生まれてきたからなんですね。

聖句に救われる

主人と結婚したことで幕屋を知った私は、義母が集っていた集会に行くようになりました。

次男が2歳の時に、知的障害があるとわかりました。どうしてなのか、何が悪かったのかと、ずいぶん自分を責めました。普通、赤ちゃんは顔をのぞき込んだらニッコリ笑いますが、次男には表情がなかったのです。

ある日、手島郁郎先生の直弟子の伝道者が来られると聞いて、私は次男を抱えて幕屋に行きました。皆さんが私たちのために熱く祈ってくださいました。すると、表情のなかった次男が、祈り終わったらニッコリ笑うようになったんですね。

その時、伝道者の先生が話してくださった聖句が、今も忘れられません。新約聖書のヨハネ福音書9章にある、盲人がイエス・キリストにいやされる場面です。

目が見えないのは「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(3節)と書かれてあります。聖書の時代、障害者は本人か両親かが罪を犯したからそんな境遇になった、と考えられていました。

でもイエス・キリストは、その障害によって、かえって神様のみわざが現れるのだ、と言われたのです。

私はその言葉と、またそこでの祈りに涙が止まらず、救われる思いがしました。

この子にもいずれは神様のみわざが現れ、健常者のようになれるのではと、自分ではそう思っていたのです。でも現実には、成長しはじめても、次男の知的障害はなかなか変わりませんでした。

「祝福だ、祝福だ」

次男が生まれて数年後、3男は健康に生まれてきました。子供がたくさん欲しかった私たちに、双生児(ふたご)や6番目の子も授かり、家族が増えていきました。

でも知的障害のある次男を抱え、長男や3男、まだ幼い双生児も育て、妊娠もしていて家事も仕事もと、私はもう生活での負担と不安で心が折れそうになっていました。そんな時、阿蘇(あそ)で行なわれる婦人だけの集会に、私も誘われて出席することになったのです。

その会では、手島先生が神様に出会われたという、おかまど山が見える場所で祈りました。私は悲観的な気持ちでしたが、何とか助けられたいと必死に祈ったのです。その場では何もなかったのですが、山を下るバスの中から窓の外を見ている時でした。

急に「祝福だ、祝福だ」と私の魂に囁(ささや)く声が聞こえたんですね。状況は、不安ばかりです。でも祝福してくださるキリストの御声が聞こえたら、もううれしくて泣けてしかたがありませんでした。これが、阿蘇の山で私がコンバージョン、回心した時です。

次男と一緒に取り組んだことが

私たちの会社では、グループ全体で43人の障害者が働いています。このような環境は、リネン系業界では一般的なのです。

でもある時、特別支援学校の保護者が見学に来られ、障害者の社員を見て、「ここで働いている人は、大人の顔をしている」と言われたのです。彼らも世の中でちゃんと働いていける、と思われたようでした。

私が会社の障害者担当として長くやってこられたのは、次男のおかげだと思っています。次男が特別支援学校の高校生のころです。路線バスを乗り継いでの自立通学を目指したことがありました。

次男の障害は重度で、しゃべれない、字は読めない、お金も数えられない。でも言われることは理解できるんです。その強みを活(い)かして、付きっきりでバスに乗り、少しずつ教えたのです。けれどもなかなか覚えられず、私も祈りなくしては続けられませんでした。

次男はそれにこたえるように、ついに自立通学ができるようになったんですね。2年ほどかかりましたから、私も忍耐力を鍛えられましたよ。

健常者もそうですが、障害者には特に、親子関係や周囲とのかかわり合いがとても大事だと感じています。

今では、次男と一緒に取り組んだ小さな積み重ねが、障害者雇用に活かされていると思います。数年前から障害福祉サービスの別会社も起ち上げて、関連会社も含めると、従業員は200人以上になります。その中には、うちの子供たち4人も喜んで一緒に勤めています。

御声に励まされて

「神のみわざが、彼の上に現れる」と聖書にある「みわざ」とは、次男が健常者になることではなくて、人々に祝福が及ぶことだと実感しています。そう思えるのは、子育ての中で「祝福」という声に励まされつづけたからです。現実の日々は大変だけれど、神様からのゴーサインを受け背中を押しつづけていただけた。そのこと自体が私にとっての祝福だと思っています。

聖書やキリストを全く知らなかった私も、次男を通してキリストの神様に出会えたことが、どんなに喜びだったか。何度もあった会社の危機、東日本大震災や倉庫の火事、コロナ禍で仕事が7割減になった時も、主人と祈ることで社員は守られてきました。

今は、皆が喜んで仕事を続けられることが、私たちの喜びなんですね。導いてくださいます神様のみわざを、心から感謝します。


本記事は、月刊誌『生命の光』883号 “Light of Life” に掲載されています。

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