提言「護られた日本の使命」

藤井資啓

 
今年も、8月15日が巡ってきます。日本の歴史の大きな節目となったこの日を迎えるに当たり、『生命の光』誌に編集人として携わる私は、日本の敗戦が意味するものは何だったのか、改めてその深意を問うてみました。

神の御手による戦後処理

先の大戦において敗れた当時の日本は、東西に分割されたドイツや、南北に分断された韓国・北朝鮮と同じような運命にさらされていました。

アメリカ軍部の統合戦争計画委員会が起案した日本占領案によれば、日本はアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連の4カ国によって分割占領されてしまうという可能性もあったのです。

また、占領された日本は、アメリカによる直接統治ではなく、日本政府を通じた間接統治とされたこと。その過程において、天皇を戦争責任者として裁くべきだとの根強い国際世論があったにもかかわらず、数少ない知日派の働きによって、昭和天皇の地位は護(まも)られました。それは、その後の日本にとって実に幸いなことでした。

天の恵みともいうべきこれら一つひとつの戦後処理が、日本の軍国主義を根絶し民主的な平和国家を樹立させるためという、アメリカの政治的手段であったことは確かでしょう。しかし結果として、日本は分割もされず、皇室は護られ、わずか6年8カ月の占領期間で主権を回復することができたのです。

このようにして護られてきたことの背後には、天の神の深い御心があったに違いない、と思わざるをえないのです。

『生命の光』誌の創刊者・手島郁郎は、その第1号(1948年10月号)に、「服役の期終りぬ」と題して、次のように記しています。

「神の審判の怒りに撃たれ、敗戦した祖国に暴風雨をついて大陸から帰った私は、神の懲(こ)らしめの笞(むち)に泣きつつもなお神に縋(すが)り祈った、『われらをして、汝に帰らしめ給え、われら帰るべし、われらの日を新たにして、昔日(むかし)の日の如くならしめ給え。さりとも汝、全くわれらを棄(す)て給いしや、痛くわれらを怒りい給うや』(哀歌5章21~22節)と。
神の怒りは激しく、その刑は重かるべし、神に帰るにあらずんば、神の怒りは和らぐこともなかるべし、私は前途を畏(おそ)れ、おののいた。然(しか)るに神は愛であり、今は早くも怒りを忘れ給うた如くに見える。神の怒りに崩され廃墟(はいきょ)と化した私たちの諸都市も、僅(わず)か3年ならずして、昔日以上の復興振りを見せている。……
神はかくも日本の刑罰をゆるくし、何故かく恵みを施し、日本民族をねぎらい給うや? 何故この世界史的失敗を責むるに浅くあるや? 神の日本民族に対するこの殊遇と特愛は、世界諸族の怪しむところ、またわれら日本人の謎(なぞ)とするところ。……
ああ、神の民大和民族よ、神国日本よ、ああ汝、何故神の憐(あわ)れみに泣き、神に帰ろうとせざるか、神はわれらの罪を赦(ゆる)し服役の期を猶予し、われら大和民族の帰り来るを待ち給う。……」

(一部を抜粋)

時代の要求に応える使命

ドイツは再統一されたとはいえ、依然、東西の格差は存在し、社会的な傷も残されています。また、南北に分断された朝鮮民族の対立は、今も続いています。

しかるに日本はかくも護られ、恵まれてきたのは、神が私たち日本民族に託しておられる使命があるからだと思うのです。

それは、手島郁郎が訴えているところの、「神の民大和民族」として、「神国日本」として私たちに託されている、天の使命なのではないでしょうか。

古来、日本民族は常に天(あま)つカミに祈り、カミと交わる霊的な民族でした。そのことは『古事記』『日本書紀』にも記されています。また、人間よりも大いなるものに従って生きることを尊ぶ性質を有していました。

しかし残念ながら、戦後の日本人は、それらの尊さを忘れ去ってしまいました。

そして、ひたすら利便性と個人の欲を満たすことを求めつづけてきた結果、今や社会にいやし難い歪(ひず)みが生じてきています。それは一つには、実に多くの人々が心の病に苦しみ、呻(うめ)き声を上げている現状に如実に表れています。人間の心の深いところにある魂は、本来必要としている霊的な神の生命に潤されず、飢え渇いているのです。

また、戦後の国際秩序が崩壊し、世界のあちこちで争いが起こっています。それらさまざまな要因によって、多くの人々が未来に対して、希望ではなく、言い知れぬ不安と危惧を抱いて生きています。

そのような現代社会を生き抜くために、私たちの魂に生きる力と希望、喜びを与えるものこそ、イエス・キリストが説かれた福音、そしてその内に秘められている霊的生命なのです。

この福音は、世界の諸民族に根を下ろすたびに、民族の個性に応じて、それぞれ美しく開花してきました。

それならば、私たち日本人が本来もっている尊い霊性の上にキリストの聖霊が注がれる時に、日本は世界の光、救いになることができるはずです。この人間の魂に喜びと平安を与えるものこそ、『生命の光』誌が証ししている原始福音の信仰です。

今こそ、私たちはキリストの生命を受けて、世界の人々の魂を照らす、霊的な灯明台となる使命を果たす時が来ているのではないかと思います。

暗雲が覆いつつあるこの時代、天に向かって熱く祈り、神の生命に満たされて、社会に、悩める人々に生きる力と喜びを表していきたいと願います。

敗戦の日を迎えるに当たり、もう一度、なぜ日本が特別に恵みを得て今日まで導かれたのかを鑑(かんが)み、私たちの本来の目指すべき姿を自覚したいと思います。


本記事は、月刊誌『生命の光』869号 “Light of Life” に掲載されています。

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