フォー・ジャパン「憎しみは、ただ愛によってのみ止む ―サンフランシスコ講和会議とジャヤワルダナ氏―」

ジャヤワルダナ氏顕彰碑(鎌倉・高徳院)
延広義弥(よしや)

今年は、「サンフランシスコ講和条約」の締結から75年となります。日本は大東亜戦争での敗戦後、連合国の進駐軍に占領されていましたが、1951年9月のサンフランシスコ講和会議で、国際的に独立と主権の回復が決まりました。

私は高校時代、1年間スリランカに留学していました。現地の友人たちから、「スリランカが日本の独立を助けたんだよ」と誇らしげに聞かされたことがあります。でも当時の私には、その言葉の真意は全く理解できていませんでした。

成人した私は、戦後50年を境に日本の歴史を学び直しました。その中でサンフランシスコ講和会議が目に留まりました。調べていくうちに、スリランカで友人たちが言ったあの言葉の意味を「発見」したのです。

思惑が絡み合う会議

日本の敗戦から6年後の1951年(昭和26年)9月4日から、アメリカのサンフランシスコで会議が開かれました。

日本以外に51カ国が参加、占領下にある日本との平和条約について話し合い、国際社会への復帰を決める、日本にとってとても重要な会議でした。

講和条約はアメリカとイギリスが草案を作りましたが、事前に行なわれた日米の会談でアメリカ側から、「会議参加国のうちには条約に調印するかどうか態度未決定の国が相当ある。東南アジア諸国にそういう国が多い」「賠償に不満なのである」との見解が示されていました。

また、当時の世界は、前年に朝鮮戦争が始まるなど、自由主義陣営と共産主義陣営が対立する「冷戦」のただ中にあり、この条約案に対し明らかに否定的なソ連が参加することも、懸念となっていました。

未来への期待よりも、冷戦や過去の遺恨が複雑に絡み合っていたのです。

サンフランシスコの会議では、冒頭からソ連は極めて厳しく修正案を突きつけ、日本の安全保障政策への制限を強く求めました。その後、重苦しい空気の中で、参加国の代表が次々に自国の意見を述べました。

その中で人々の心に深く刻まれる瞬間がありました。当時のセイロン(現スリランカ)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏(後の大統領)の演説です。

J·R·ジャヤワルダナ(1906~1996年)

「友情の手を差し伸べよう」

ジャヤワルダナ氏は、「私はセイロン政府を代表してのみ発言することができるわけですが、アジアの人たちの日本の将来についての一般的な感じ方を、声を大にして述べうると断言します」と演説を始めました。そしてソ連が求めた、日本の自由への制限を真っ向から否定しました。また、自国も日本から被害を受けていながら「賠償を請求する権利を行使するつもりはありません」と宣言したのです。

仏教徒である彼がその理由として演説で語ったのは、「憎しみは憎しみによっては止(や)まず、ただ愛によってのみ止む」というブッダの言葉でした。

そして「この条約は、敗北した者に対するものとしては寛容な内容でありますが、我々は日本に対して友情の手を差し伸べましょう。人類の歴史のこの章を閉じるに当たり、今日書いているこれが最後のページとなることでしょう。そして、明日からまた新しい歴史の章の第1ページを記すに当たり、日本人と我々が共に手を携えて人類の生命の威厳を存分に充(み)たし、平和と繁栄のうちに前進することを祈念する次第であります」と語り、演説を締めくくりました。すると会場の各国代表から、万雷の拍手が沸き起こったのです。

ジャヤワルダナ氏の演説の後、カンボジア、パキスタンも「復讐(ふくしゅう)なき平和」を述べ、セイロンの主張は孤立したものではなく、アジア諸国の願いであるという強いメッセージとなりました。

こうして9月8日、「日本国との平和条約」に日本を含め49カ国が署名しました。そしてその翌年の1952年(昭和27年)4月28日に公布・発効し、日本は主権を回復できました。

幼少からあこがれていた日本

長らく西欧列強の植民地となっていたセイロンで生まれ育ったジャヤワルダナ氏は、幼いころから日本に対して特別な感情を抱いていたようです。

「私たちだけではなく、西欧の帝国主義の下で苦しんでいるすべてのアジアの国民たちは、日本を称賛し、尊敬していたのです。先の80年の間、日本は西欧の列強と競い、匹敵し、時には打ち負かしていました」。国賓として来日した1979年に、こう語りました。

また、昭和天皇が1920年代に皇太子としてセイロンを訪れた際に、当時15歳だったジャヤワルダナ氏は気持ちを高ぶらせて、殿下が乗っておられる艦を一目見ようと港に行った、とも語っています。

サンフランシスコ講和会議に向かう途中、ジャヤワルダナ氏は日本を経由し、鎌倉の大仏がある高徳院を訪れています。彼は、参拝者や日本で出会う人々に、宗教国である自国と共通の伝統、そして平和の教えに従いたいと願う心を感じました。

幼いころからの日本への想い、そして戦後に見た日本人の心があの演説につながったのではないかと、私は思います。

スリランカに感謝を込めて

現在、私は学校法人の事務局で働くかたわら、短期大学では授業を受け持っています。そこには、3人のスリランカから来た留学生がいます。私は「サンフランシスコ講和条約」について授業で語り、ジャヤワルダナ氏のことも話しました。

筆者とスリランカからの留学生

3人の留学生に向かって、私が「ジャヤワルダナ大統領、スリランカ、ありがとうございました」と感謝を伝えると、クラスの学生たち皆から大きな拍手が起こりました。75年前のサンフランシスコで沸き起こった拍手と重なったような気がしました。

聖書にも、「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う」(箴言10章12節 新共同訳)という、あの演説に深く響き合う言葉があります。

現在、日本国内は人心が荒れ、世界を見ても力と力がぶつかり合う紛争が絶えません。「憎しみ」による「いさかい」は止まることがないかに見えます。

しかし、それらの罪を真白い布で覆い清めるように「覆う」神の愛があると、聖書は伝えます。人が解決できないことも神にはすべてをなしうると、イエス・キリストも言われました。

ジャヤワルダナ氏が示したブッダの慈愛。聖書が教える神の愛。もし人々が願い求めるならば、真の宗教だけにそれらを現す希望があると、私は信じています。75年前、それが現実となったからです。

節目の年に当たり、困難な時代の日本を擁護し支持を表明されたジャヤワルダナ氏とスリランカに、日本人として深い感謝の意を表します。


本記事は、月刊誌『生命の光』882号 “Light of Life” に掲載されています。

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