若いひとの声「ぼくたちの『日本』とは」

徳富蘇峰の詩碑の前で(霧島神宮)

二つの美わしき名あり、その一はキリストにしてその二は日本なり。

内村鑑三「美わしき名二つ」

自分たちの信仰のルーツを求めて、『生命の光』誌創刊者の手島郁郎がその系譜に連なる、無教会の内村鑑三先生に行き着いた幕屋の青年たち。

内村先生は、2つのJ(イエス「Jesus」と日本「Japan」)のために生きられましたが、そういう日本への思いをもっと共感できるようになりたいと、その著作『代表的日本人』を読みました。

同書で取り上げられている、5人の人物のうち、最初に登場する西郷隆盛は、明治維新の立役者として知らない人はいません。その生涯から、自分たちは何を受け取ることができるのか。

そして、西郷のゆかりの地を鹿児島に訪れてみて、「日本」とは何かを感じ取りたい。

今年3月、18歳から20代にかけての、幕屋の青年たちが、全国から鹿児島に集まりました。その旅に、『生命の光』誌の編集員も同行しました。

西郷隆盛は、名君・島津斉彬(なりあきら)公に見いだされ、国事に奔走します。やがて斉彬公の突然の死や、幕府から追われる勤王の僧・月照との入水(じゅすい)と自分だけの蘇生(そせい)、また2度の島流しなどの苦難を経て、その人格は磨かれました。

維新の大業を果たした後、征韓論に敗れて政府を去り、鹿児島の若者の育成に努めます。その若者らの暴発により西南戦争が起こると、自分の命を同志たちにゆだね、戦い敗れて故郷で亡くなりました。

「敬天愛人」また「人を相手にせず、天を相手にせよ」と言い、「天」に向き合っていた西郷隆盛。その意図する「天」とはどのようなものなのか、はっきりしたことはわかりません。陽明学を学んでいたので、「真理」や「道」といった概念を指すのかもしれません。

しかし内村鑑三先生は、西郷の、野山を歩きつつ天の声を聞いたであろう姿を想像しています。

鹿児島と宮崎との県境の霧島連山に、天孫降臨の地・高千穂峰があります。そこに、「天」という共通点を見出した青年たち。

霧島神宮に建つ、明治から昭和にかけての著名なジャーナリスト、徳富蘇峰の詩碑を訪れました。

 神聖降臨地 乾坤定位時
 煌々至霊気 萬世護皇基

(神聖が降臨した地 天と地の位が定まった時 煌々〔こうこう〕と輝く霊気が至った それは永遠に皇室の基を護〔まも〕っている)

蘇峰が感じた、煌々と光り輝く霊気とは? 私たちは高千穂峰の山頂を目指しました。(編集部)

天の思いを地に映す、という日本人のルーツがここから始まり、西郷隆盛もこの思いに立ち返って国のために尽力してきたのだと思った。その時に、内側から力が込み上げてきて、うれしくてたまらない中で高千穂峰に登ることができた。(H.F)

ぼくは西郷隆盛のことを学校では学んでいましたが、生い立ちや功績等を詳しく知っていたわけではありませんでした。今回、ゆかりの地を訪れて西郷隆盛の人間性にとても感動しました。
政府軍の総司令官が西郷隆盛のことを天下の豪傑だったと言っていたのが印象的で、亡くなった後に敵からたたえられるほどの人格者だったことがわかりました。(K.K)


体験記

天とは何かを求めて

桑山 天(たかし)26歳

鹿児島市内の西郷隆盛ゆかりの地を巡り、その生涯に思いを馳(は)せました。

そこで感じたのは、どんな逆境にあってもあきらめずにこれだけ偉大なことをなしえた、それは出世欲や富を得ようという己のためではなかったからだということでした。

残した言葉の多くに「天」という文字が表れているように、常に天に聴きながら日本のために生き抜いたのが西郷隆盛でした。

西郷さんにとっての日本とは、また天とは何だったのか。そう思いつつ、霧島へと向かいました。

その日はあいにくの悪天候。普段は登山者が多く訪れる高千穂峰に、私たち以外の人影はありませんでした。鳥居をくぐりしばらく歩くと、古宮址(ふるみやあと)という場所に着きます。噴火によって消失するまでは、ここに霧島神宮がありました。

現在は立派な社殿などはない、砂利敷きの簡素な斎場となっていますが、小雨が降る中ひとときたたずむと、何とも言えない神聖な雰囲気に包まれました。

山頂までの道のりは険しく、火山特有のゴロゴロした石だらけの斜面に何度もつまずきつつ、仲間たちと肩を貸し合いながら登りました。数メートル先も見えない霧が一面を覆い、とても神秘的な光景に感じられました。

山頂も分厚い雲に覆われ、やはり周りの景色は全く見えません。しかし、感動が内からわいてくるのを感じました。それは、登り終えた達成感などではありません。

――ここに天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降り立ったという伝承をずっと伝えてきた日本。そして、その末であるご皇室が今おいでになる日本。私たちの祖先は、天からくだってきた天孫民族の自覚をもっていた――

『日向国風土記(ひゅうがのくにふどき)』に、瓊瓊杵尊が天くだった時、稲の籾(もみ)を投げると、暗く昼も夜もわからないほどだったのに、天が開けて月日が照った、とあります。地上とは比較にならない、清く澄みきった世界から、光がこの世に点じられる情景が、思い浮かびました。

「2つのJ」の1つ、日本。そこに生まれた私たちは、圧倒的に高く清い、そして煌(きらめ)く霊気を感じ、その源の天を仰いで生きる民の末なのだ。そんな思いを抱きました。

私の名前は、「天」と書いて、「たかし」と読みます。ほかにはあまり聞かないこの名前を、自分でも気に入っていました。

ですがこの旅を通して、西郷さんの言う天とは、古(いにしえ)より日本人が見上げつづけてきたもの、それは自分たちのルーツなのだと感じた時に、これまで以上に誇らしい名前だと思えました。この名前に恥じない生き方を目指していきたいと願っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』880号 “Light of Life” に掲載されています。

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