「建国記念の日」に想う「出雲で寿ぐ、日本の建国」

青木偉作
3年前、私はキリストの伝道の使命を帯びて、出雲の地にやって来ました。冬の冷たい風が吹く稲佐の浜に立つと、遠くに雪を頂いた三瓶山(さんべさん)が望めます。そして冬空の下、日本海の荒波が寄せては返す響きに耳を澄ませると、この地に息づいてきた先人たちの祈りが、心の内に響いてくるようです。
2月11日に出雲大社では、紅白のお餅(もち)が参拝者にふるまわれます。遠く橿原(かしはら)の地で神武天皇が日本の国を建てられたという歴史に思いを馳(は)せながら、出雲に住む私たちもまた、この日をしっかりと胸に刻みます。
●国譲りの浜での問いかけ
日本の建国に先立つ出来事として語られる、「国譲り」。その舞台が、出雲大社のすぐそばに広がる稲佐の浜です。『古事記』には、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本列島)の国造りをし、領有していた大国主命(おおくにぬしのみこと)に、高天原(たかまがはら)から遣わされた建御雷神(たけみかづちのかみ)が国を譲るよう迫った、とあります。

建御雷神は剣を逆さに立て、その切っ先にあぐらをかいて座りました。普通なら座れるはずのない剣先にあえて身を置き、祈りを込めながら、「あなたの領有する葦原中国は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子の治めるべき国である。あなたの考えはいかがか」と、命がけで問いを投げかけたのです。
この時の、「譲らぬのか、譲るのか。否(いな)か、然(さ)か」という迫りに由来して、この浜は「稲佐(いなさ)の浜」と呼ばれるようになった、と伝わっています。
大国主命は、子たちにも了解を得た後に答えました、「この葦原中国は献上いたします。ただ私の住まいに、高天原に届くほどに千木(ちぎ)を高く建てた壮大な宮殿をお造りくだされば、私は隠れておりましょう」と。
大国主命は天の御思いが成るために、国を譲りました。そして、その時の大国主命の願いにこたえて建てられたのが、出雲大社なのです。
●太古からの皇室への祈り
この出雲大社の祭祀(さいし)を受け継いできたのが出雲国造(いずもこくそう)で、その家から大社の宮司が任命されます。
宮司が新たに就任する際に宮中に参内し奏上していた『出雲国造神賀詞(かんよごと)』には、建御雷神より前に高天原から天穂比命(あめのほひのみこと:出雲国造の祖)が降(くだ)り、荒ぶる神々を鎮め、大国主命と平和裏に話し合うことによって国譲りへの道が開かれたことが記されています。
「神賀詞」は、このような国譲りの精神と共に、ご皇室の弥栄(いやさか)と安寧を願われた大国主命の御心を、古代から今に伝える祈りです。
「年のはじめの ためしとて……」と、広く正月に歌われてきた『一月一日』を作詞した千家尊福(せんげたかとみ)公も、第80代の出雲国造であり、この「神賀詞」の精神を元にして歌詞を書いたといわれます。
しかし戦後になって、「国譲りの物語は作り話で、『古事記』に書かれているような巨大な社殿は実際にはなかった」という見方が広まりました。私自身も長い間、そのように考えていました。
ところが、出雲に移り住み、出雲大社を訪れた時、大きな衝撃を受けました。境内の発掘調査で、直径1メートルを超える大木を3本ずつ束ねた柱が見つかっていたのです。この太さから、かつての出雲大社は、まるで「空中神殿」と呼べるような、とても高い建物だったことがわかってきたのです。
さらに大社から少し離れた所にある荒神谷(こうじんだに)遺跡では、それまで日本各地で発掘された総数を上回る銅剣が見つかり、その近くの加茂岩倉(かもいわくら)遺跡からは、弥生時代中・後期の銅鐸(どうたく)が数多く出土したのです。
以前は、出雲には神話で語られるような大きな国があったとは考えられていませんでしたが、その存在が証明されたのです。その上で、このような社(やしろ)が大切にまつられてきたことを見ると、争いによらない平和的な統合が進んでいたと思わずにはおれません。
世界史を見れば、問答無用で他を征服する例は数多くあります。しかし日本(天孫民族)は、出雲を含め各地を統合する際に、地域の人々の心を尊重しました。その姿勢が「共に歩もう」という思いを生み、日本を一つにする力になったのでしょう。そしてそのことを象徴的に表したのが、「国譲り」の物語なのではないでしょうか。
その統合の心を表すように、神武天皇は橿原で即位された時、このように詔(みことのり)されました、「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん」(全地を包んで一つの家としよう)と。これこそ、日本建国の精神なのです。
●天の御心に生きる
このようにして見ると、出雲大社は日本の統合を象徴するお宮でもあり、その出発点ともいえるのが稲佐の浜での国譲りでした。大国主命が天の思いに従って国を譲ったところから、日本建国の歩みは大きく進展したのです。
平成15年(2003年)、天皇陛下と共に、美智子皇后陛下(当時)が出雲大社をご親拝になった際、国譲りにちなんだ次の御歌をお詠みになりました。
国譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず
この御歌は「出雲大社に詣(もう)でて」と題され、大国主命がご皇室のご先祖に国土を奉献された「国譲り」を称え、その御業の尊さを偲(しの)ばれたものといわれます。
「天の御心ならば」と、国を譲られた大国主命。自ら築き上げた国を手離す――これは容易なことではありません。けれども、己の栄光や計画を超えて、天の大いなる意思にすべてをゆだねたのです。
それはまさに、「自分の大切なものを捨ててでも、天の御心に生きる」という、人間の業ではない、「奇しき御業」と呼ぶにふさわしい姿でした。
その心に触れた時、私はハッと胸を打たれました。大国主命の、より大いなるもののために生きることを喜びとしたその姿は、キリストが私に望んでおられる姿に通じている! 神話が教えるように、自らの思いや計画を超えて神の導きに身をゆだねる時、天の御心が成っていくのだ、 と。
私自身もまた、キリストの御思いが成るために、先人の歩みに倣って生きる者でありたいと願います。
争いを望まず、すべてを包み込むように統合された日本。冬の風が吹く稲佐の浜に立ち、日本海の波音を聞きながら悠久の歴史を思う時、その尊さが胸に迫ってきます。
そしてはるかな昔から、ご皇室とこの国のために祈りつづけてきた出雲の先人たちの歩みを思い起こすと、私の心にも自然と祈りがわいてきます、「日本よ、永遠なれ!」と。

本記事は、月刊誌『生命の光』875号 “Light of Life” に掲載されています。

