新春に聞く「『規格外』に秘められた力 ー大阪・関西万博で花開いた生徒たちの希望ー」

菊池直樹
新しい年は希望をもってスタートしたい。特に若者が明るい心で未来に向かって生きることを願います。
昨年、「高校生МIRAI万博」というイベントがあり、教員の菊池直樹さんが指導する北海道の農業高校のチームが、最優秀賞の一つに選ばれました。そしてその研究発表を、大阪・関西万博の会場で行ないました。菊池さんにお話を伺います。(編集部)

菊池直樹 このイベントには日本全国から364チームが応募し、二次にわたる選考を経て万博の舞台に立った高校生たちが、日ごろの探究活動の成果を発表しました。その模様はオンラインを通じて世界に発信され、高校生たちにとって大きな成長の機会になりました。
進学校が多数出場する中、私たちは北海道の十勝にある、全校生徒が100人ほどの小さな農業高校のチームなんです。でもそれが見事に最優秀賞の6チームの1つに選ばれ、万博で発表をすることができたんですね。
――今回発表されたのは、どんな研究なのですか?

菊池 私たちの発表した研究は、色や形が悪いという理由だけで、全生産量の20パーセント以上が廃棄されてしまう「規格外」の白菜と金時豆を活用して漬物を作る、という内容です。
廃棄野菜を減らすことは、日本が抱える大きな課題です。これに成功すれば、食料自給率が上がり、輸入時の輸送の際に排出されるCO2の削減が見込めます。同時に農家の厳しい経営状況を改善する糸口にもなる。そこまでを今回の発表の内容にしました。
また、実際に売れる商品にするため、味や値段にもこだわりました。色合いが悪いという課題は、地元特産のスモモを用いることで解決し、農家の方たちと共に現実に即した商品を作り上げられたんです。
――素晴らしい取り組みですね。このイベントに参加するに当たって、自信のほどはいかがでしたか?
菊池 実は、予選から多くの学校が、地元の産物に着目した探究活動や、平和・防災教育に関する内容など、多岐にわたる発表を行ないました。とても水準が高く、商品化や普及を見据えるなど明確な展望があるんです。
ですから私は正直なところ、予選を通過することは難しいと思っていました。でもわが校の9人の生徒たちは見事に最優秀賞を勝ち取ったのです。そして万博の大観衆の前で、堂々と発表をやり遂げてくれました。
生徒たちはもちろん大喜びでしたし、観覧した方々からも「発表者の声が素晴らしい」「もはや企業レベルの発表だ」など、称賛の声が寄せられました。
また、オンラインで生配信を見ていた保護者の皆さんからは、「発表を見ながら涙が出ました」「中学時代のわが子を思うと、信じられません」という感謝の言葉を頂きました。
天から響いた声
――ここまで来るのは簡単ではなかったのでしょうね。
菊池 私自身は、以前に勤めていた学校の時から20年間、この研究を続けてきました。最初のきっかけは、トマトジュース作りに失敗したことでした。未熟だった私は、塩の分量を間違えてしまったのです。大量にできてしまった不良品を有効活用できないかと思い、取り組んだのが酢の生成です。その後、学校を移っても酢や菌など、発酵の研究を続けました。
やがて、研究で成果が出はじめたので、生徒たちと農業クラブの大会に参加するようになりました。研究のテーマは毎年変えています。大手製菓メーカーの研究者が話を聞きに来るような成果が出せたこともありました。でも生徒の表現力が課題となり、原稿が暗記できなかったり、パワーポイントが上手に使えなかったりで、うまくいきません。生徒たちは一生懸命やるのですが、入賞できない数年間を過ごしました。
――苦闘続きでしたね。何か菊池さんに転換点のようなことはあったのですか?
菊池 転機となったのは、一昨年の年末に行なわれた幕屋の集会でのことです。祈りの中で突然、天から「農業高校の技術を活(い)かせ」という言葉が心の中に響いてきたのです。自分でも驚きました。
よし、ほかの優秀な学校を意識して見栄えのするテーマを選ぶのではなく、私たちが今まで取り組んできた「漬物」でチャレンジしよう、と思ったのです。
でも、わが農業高校の実情を考えると「うちの生徒は大丈夫かな。響いてきたあの言葉は本当かな?」と思ってしまう時もありました。けれど祈ると、そのたびに天からの励ましを感じました。
そうして受賞できた万博のイベントでした。だから、これは天からのプレゼントとしか思えませんでしたね。
この発表を終えてからは、生徒たちが生き生きしているのを感じています。登校するのが難しかった生徒たちも、学校が楽しくなったようで、笑顔で毎日登校するようになりました。その姿を見ながら、神様のなされることに感謝がわいてなりません。
大肯定の体験を
――イベントを終えて、今、生徒さんたちにいちばん伝えたいことは何ですか?
菊池 今回の素晴らしい経験は、生徒たち自身で勝ち取ったことなので、自分に自信をもってほしいです。
高校時代は、思い悩むことが多い年ごろですよね。私自身も、学生時代に心が満たされずに、荒れて苦しんだ経験があります。
幕屋の信仰をもつ私の父は、中学校の教員をしていました。そのため周りからは「菊池先生の息子さん」としか見てもらえず、それが苦痛でした。「自分は自分だ」と反発して、ワルい仲間とつるんでいました。
ある時、私たちのグループが問題を起こし、警察に補導されたことがあります。仲間はみんな捕まりましたが、私だけはみんながかばって捕まりませんでした。後から「おまえは先生の子供なんだから、親の顔に泥を塗るようなことはするな」と言われ、それからは彼らと私の間に距離ができてしまいました。
ワルになりたかったけれど、なりきれない。中途半端だから結局、友達も裏切ってしまう。「どうせオレは半端者だ……」。私は心底、自分を否定しました。
そんな私を、幕屋のある伝道者がじっと見ておられました。そして「君の中のよきものが大きく発露されることを、神様は願っておられるよ」とおっしゃったんです。「そんなふうに神様は私を見てくださっているんだ」と思うと、感激で泣きました。神様に対してたまらないほどの思いがわいてきて、祈っている時に、「教師になれ! 傷ついた若者のために一生を捧(ささ)げるんだ」という声が、内側から響いてきたんです。
それまで、「教師の息子」として苦労してきたので、学校の教員にだけはなりたくない、と思っていました。でも本当は、父の後ろ姿を見て私の中にもあこがれがあり、そうなりたいという願いがあったのだと、はっきりさせられたんですね。
そこから教師を志して、今があります。
現代は、私が高校生のころよりも承認欲求が強くなっているのを感じます。SNSで人に評価されることに喜びを見いだすのは、若い人だけの風潮ではないですね。でも、「いいね」で心が満たされるとは思えません。
私自身、自分で自分を「規格外だ」と思って見捨てていたような者でした。だから、自分を卑しめている生徒たちを見ると、たまらなく愛がわいてきます。神様の目から見たら、一人ひとりが尊くてならないと思うんです。神様に愛されている自分を発見すれば、どんな人でも自分を大肯定して生きていけます。
周囲と比較しなくても大丈夫。もっと大肯定の世界がある。そのことを伝えていきたいです。
本記事は、月刊誌『生命の光』874号 “Light of Life” に掲載されています。

