突破の瞬間「前進しかさせない刺」

寺﨑強嗣(あつし)31歳
理学療法士として病院でリハビリを担当して、今、2年目です。
勤めている病院は大きくて、リハビリのスタッフだけでも100人以上います。1年近く勤務した後、配置換えがあり、また一から覚えることが多くて、毎日が必死です。
でも、こうして体いっぱい使う仕事ができているのは、キリストの御業だと思っています。
私は2歳半の時、川崎病という原因不明の病気にかかりました。40度を超える熱が続き、最悪の場合、重い後遺症が一生残るかもしれないと担当医から言われたそうです。その時、たくさんの方々が祈ってくださり、医師も驚くような奇跡的な回復を遂げたことを、幕屋の信仰をもつ両親に聞かされて育ちました。
弱い自分、だからこそ
でも私は大学で留年したうえ、就職活動に失敗してしまいました。書類審査を通って面接まで行けても、その会社とは関係ない、障害者スポーツのボランティアをした経験を熱く話したら、「それなら、その方向に進んだらどうですか」と言われ、不採用でした。
私は、ロンドンパラリンピックで日本の女性選手が、病気で体の一部を失っているのに笑顔でインタビューにこたえているのを観て、衝撃を受けました。
それで、障害者スポーツにこんな魅力があるんだ、こういう人たちを支えたい、と思うようになっていたのです。どうすれば、そういう人の役に立つ道に進めるのか、長い間考えあぐねていましたが、理学療法士という道があるよと、ある人に教わりました。
でも、もう26歳になっていて、これから学校に入り直して資格を取るのか、と迷いがありました。
ある時、一生の道を決める思いで祈りました。そして、「神様、どうしたらいいでしょうか」と、問いかけるように祈っていたら、「その道でいいんだよ」という声が内に響いてきたんです。それは私にとって、神様をそば近くに感じたとても大きな経験で、大丈夫だ、と確信することができました。
それで、専門学校の4年制の夜間コースに入りました。でもそれは、ほんとうに険しい道でした。
私はもともと、勉強は苦手なんです。4年間、必死になって勉強しましたが、途中で精神的に追い込まれるようなところを何度も通りました。
新型コロナウイルスがはやりはじめたころから、気軽に電車に乗れなくなったりする、感覚過敏になってしまいました。その後、私は発達障害、また人一倍不安が生じやすいという、不安障害と診断されました。
振り返ると、幼い時から心身が弱く、人よりハンデをもっている自分です。でもだからこそ、このような者を贖い、愛してくださるキリストの神様に、感謝がたくさんあります。
国家試験
去年の2月に、国家試験がありました。その2カ月前の模試では、校内でビリの点数でした。280点満点のテストで、合格点に60点も足りない状況だったんです。
さすがに先生に呼び出されて、「このままじゃまずい。優秀な人から、勉強法を教えてもらいなさい」と言われました。
でも、私は頑固な性格で、点数が低いくせにプライドは高いんです。教えてもらった勉強法では無理だと勝手に放棄して、教えてくれた人からの信頼を失ってしまいました。それで、独りで勉強しないといけない状況になりましたが、点数はやっぱり伸びません。
そんな時、手島郁郎先生が英国の詩人ロバート・ブラウニングの詩を通し聖書を生み出したユダヤ人の精神・ヘブライズムを説いた、『老いゆけよ、我と共に』という本の一節が心に留まりました。
平坦な地上に波瀾(はらん)を巻きおこす
一つ一つの挫折(ざせつ)をも
歓迎せよ、
立つも座るも得しめず
ただ進ましむる
一つ一つの刺(とげ)をも!
詩の第6連のこの言葉を通して、「じっとしていたら、痛む。いても立ってもおれない、前進しかさせないような刺。この刺を持った人間になることが大事です。これがヘブライ精神なんです」と手島先生が言われています。
この箇所を読んで、ハッとさせられました。勉強が苦手なくせに、頑固な自分。幼い時から心身が弱いというハンデ。そういう刺が、どうせ痛むのだったら、じっとするより、とりあえず動きつづけようと、この句から力を受けました。どんなにつらい時も、1時間でも勉強を続けるようになり、模試の点数が上がりつづけました。
最終的に合格点が168点のところを、200点超えを達成できました。2カ月前から考えたら、信じられません。
『老いゆけよ、我と共に』で読んだ言葉を通して励まされたことが、自分を変えてくれたと思うと、感謝でなりません。
日々、私が祈る場所は決まっています。私が小学校1年生の時に亡くなった、熱いキリストの信仰をもっていた祖母の写真の前です。そこで必ず手を合わせる習慣があり、ほんとうにそれが力になったと思います。
人と触れ合う仕事
職場には入院病棟もあり、リハビリは時間を空けると効果が薄れてしまうので、業務には土曜も日曜もありません。でも体に痛みを抱えた患者さんと触れ合って心を通わせる仕事に、やりがいを感じています。今も苦労はありますが、いつの日か、障害者スポーツの役に立てるようになりたいです。
そのためにも、また今、向き合う患者さんのためにも、技術の向上を目指しています。

Profile
この春に結婚して、心新たに仕事に励んでいます。
休日は2人でカラオケ店に行って熱唱しています。
本記事は、月刊誌『生命の光』872号 “Light of Life” に掲載されています。

