聖書に励まされて「神様を引き留めた叫び」

家守(けもり)貞実
岡山県倉敷市の田舎にある桃農園が、私の実家です。私はそこで「中国ツアーサービス」という旅行業の事務所を起ち上げ、20年になります。今日まで旅行業を続けてこられたのも、かつて祈りによる一つの突破があったからです。
ゼロからの出発
東京で長年、旅行業に携わっていましたが、両親が高齢になり、長男の私が里に帰るべきかと悩んでいました。私は当時、すでに48歳。子供も4人いましたので、実家の桃農園だけでは暮らしていけない。さてどうするか、と思いました。
ただ、郷里で幕屋の信仰を伝えていきたいという願いもあり、帰る決断をしました。
帰郷後、ようやく見つけたある会社に勤めたものの、社長とうまくいかず、そこは1年足らずで辞めることになりました。
その後、神様に聴くような気持ちで祈っていると、旅行業務の資格をもっているし、少しの資金さえあれば旅行代理店を開けるんじゃないか、というアイデアが浮かんだんです。それで自宅の2階に電話とファックスを引いて、思い切って旅行代理店を始めました。それは、ゼロからの出発でした。
全く無名の新会社です。初めは営業に出かけても、「どこの会社?」と、相手にされません。とにかく、お客様になってくださる方との関係を作ることに取り組みました。
以前の会社で学校関係の仕事をしたことがあるのを思い出しましたが、学校は大手の旅行会社を優先するので、初めから大きな仕事をもらうのは難しいんです。それでまず、部活動の遠征の仕事を取ることを目指し、顧問の先生に話をもっていきました。
儲(もう)けを考えずに提案をすると、それならやってもらおうということになりました。遠征のバスが朝6時に出発する日は、私も早朝、学校まで見送りに行きました。そうして、少しずつですが、部活動の仕事をもらえるようになっていきました。
しかし、いつまでも小さな仕事では事業が立ち行きません。今度は修学旅行の仕事をねらって、ある高校に行きました。すると、「ちょっと遅かったね。もう決まってしまったよ」と断られてしまいました。それで、来年こそはぜひこの案件を取りたいと思い、そのことにかけて、いろいろと備えていました。
そして1年を何とか過ぎ越し、再びその高校に行きました。ところが、「残念だが昨日、大手の4社からいい見積もりが来たので」と、あっさり断られてしまったんです。
1年間、祈りながら備えてきた案件です。駐車場の車に引き返し、ドアを閉めてシートに座り込みましたが、ショックで悔しくてたまりません。「神様……」とつぶやいたその瞬間、日曜日の集会で読んだ聖書の箇所が、私の心にバーッと迫ってきたんです。
盲人バルテマイの姿
それは、イエスと弟子たちの一行がエリコという町を出ようとした時のことです。道端で物乞いをしていたバルテマイという盲人は、イエスがやって来られたと聞いたのです。すると彼は大声を上げて叫びました、「ダビデの子イエスよ、私をあわれんでください! 私をあわれんでください!」と。彼は周りの人々が止めるのも聞かず、何度も叫びつづけました。
バルテマイはかねてから、イエスという人が多くの病人や悪霊に憑(つ)かれた者たちをおいやしになっているという噂(うわさ)を聞き、このイエスこそダビデの子、救い主メシアだと信じていたのです。その救い主がすぐ近くまで来ておられる。自分もその救いに与(あずか)り、いやされたい。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。そう思って、叫ぶのをやめませんでした。
その叫びに足を止められたイエスが、バルテマイに向かって、「行け、あなたの信仰があなたを救った」と言われると、彼はたちまち見えるようになった、というのです。
目が見えず、物乞いをしなければ生きていけないというたまらない現状を変えていただきたい、何とか救われたいとの願いが、バルテマイをイエスに向かって激しく叫ばしめたのです。その叫びにイエスは立ち止まり、彼の熱い願いを聴き入れられたのでした。
この盲人バルテマイの姿がありありと心に迫ってきた時、私も「神様、この機会を逃したら、もうやっていけません。あなたの不思議な力を私にも現してください!」と、車の中で必死に祈りました。
すると、「行け! バルテマイのように叫べ!」と、天からの声が励ますように迫ってきたのです。
その声に、がぜん勇気を得た私は、再び職員室に向かい、「先生、何とかもう一度お願いします!」と頭を下げました。すると「そこまで言うなら、見積もりを出すだけ出してください」と言われました。
それから数日後のこと、その高校から、「あなたの一生懸命さが伝わってきたので、今回は貴社にお願いすることにしました」と連絡があったのです。それが、独立して初めて取れた、大きな仕事でした。
この体験は、私が信仰で生きる上で大きな力となりました。その後、コロナ禍の大変な時も通りましたが、今では社員を2人雇って仕事を拡(ひろ)げることができるようになりました。こうして今日まで祝福されてきたのは、その時の経験があったからです。

苦しみを訴える、天にまでも届くような魂からの叫びの声に、神様はこたえてくださる。苦境の中にある時、その状況に打ちのめされてあきらめてしまうのではなく、「ここを突破させてください!」と必死に熱く求めつづけるなら、天は道を開いてくださる。
そのことを、自ら体験したのでした。そうして今も、仕事に、また生活のすべてに、キリストを仰ぎつつ生かされています。
本記事は、月刊誌『生命の光』868号 “Light of Life” に掲載されています。