信仰の証し「どんな時も光の中を」

大野雅歌(みうた)
昨年、母の故郷である佐渡島に、家族で行ってきました。母が生まれ育ち、そして中学生の時に幕屋と出合ってキリストを発見した場所を巡り、感慨深かったです。
母は、がんを患って、45歳で亡くなりました。2年前に私も45歳を迎えた時、母はまだこんなに若かったのかと、つくづく思いました。子供たちの成人式や結婚式、孫たちの入学式や卒業式を見たかっただろうし、見せたかったな……と。
でも佐渡の地に立った時に、母が地上に残してくれたものは私や孫につながるキリストへの信仰だったと、心から感謝がわいてきたのです。
いまだに母は夢に現れてくれないんです。でもいつか会うことができたら、こう伝えようと思っています、「お母さんが地上で生きられなかった人生を今、私が生きていますよ。神様の光の中でね」と。
自分のことは後回し

ちょうど30年前の1月、わが家の生活が一変してしまう出来事が起こりました。少し前からおなかが痛いと言っていた母が、入院したのです。
最初は、検査入院だから、と聞いていたのですが、診断結果は末期の大腸がんで、病院へ行った時はもう手後れでした。そして2カ月後の3月に、あっという間に天へ帰っていきました。
それから、17歳の私が母に代わって家庭のやりくりをする生活が始まりました。周りの友達は学校帰りに遊びに行くのに、私はスーパーへ行って夕食の買い物、家に着いたら掃除や洗濯です。家事と3人の弟妹の世話で、自分のことは何でも後回しでした。
私の人生は何なの、と悲しくなって涙があふれてくることもありましたが、そんな時は、母が買ってくれた聖書を開いて祈りました。そこには、母が私への遺言のように書き残してくれた言葉があります。
ひかりの中をあゆみなさい。
かみの子、みうたに聖書をおくる。
それを見ながら、どんな時も神様の光の中で生きていける、と励まされていました。
その7年後、24歳の時に同じ幕屋の信仰をもつ主人と結婚しました。主人も幼いころに母親を亡くしているので、私の気持ちをよくわかってくれました。
妻として、母として
私たち夫婦は共に、4人兄弟の家庭で育ちました。そして今では5人の子供を授かり、長女が22歳、末娘が12歳で、にぎやかな毎日を送っています。
主人は書店に勤めながら、キリストへの熱い信仰で生きていました。また幕屋の若者たちを愛して、よく一緒に祈ったりしていました。平日でも、どこかで祈り会があると聞いたら出かけていきました。キリストの福音を伝えることが主人の喜びでした。
でも私はというと、子育ての忙しさに心身をだんだん擦り減らしていきました。もともと自己肯定感が低い性格もあって「妻として、母としてこうあらねば」と力が入ってしまいます。
そんな自分がたまらなくて、幕屋の集会で、「神様、前向きに生きる私に変えてください」と祈るのですが、周囲にいた同世代のお母さんたちが立派に見えるんです。それで、自分と比べてしまう。そんな堂々巡りを繰り返しているうちに、理想と現実のギャップに心の折り合いがつかなくなり、主人とも心が合わなくなっていきました。
主人の妨げになってはいけないと、苦しい胸の内を押し殺していたのですが、限界を迎えてしまいました。人込みの中にいると過呼吸を起こし、電車にも乗れなくなるほど、自律神経を病んでしまったのです。
それからの数年間は、ほんとうに苦しい時を過ごしていました。そのころでしたが、5歳の次男のまぶたが、はれぼったくなって、顔がむくんでいるのに気づきました。そういえば、おなかも何だか膨らんでいます。
掛かりつけの病院で診てもらったら、すぐに大きな病院を紹介されて、即入院でした。腎臓病で、難治性のネフローゼ症候群にかかっていたのです。
退院したものの、再発を繰り返します。また、強いステロイド薬の影響から、風邪をこじらすと肺炎を起こし、入院。こっちがよくなったらあっちが悪くなる。苦しむ息子の姿に、胸が引き裂かれそうでした。
このような状況になると、自分の調子が、なんて言っていられません。毎日、息子に手を按(お)いて、神様に祈りました。
涙腺崩壊
そんなある年の夏に、泊まりがけで行なわれる集会に、家族で出かけました。息子も参加したがっていたので、注意して体調を整えていましたが、その集会のひと月前に発症して、入院してしまいました。それでも何とか退院できて、参加がかないました。
私は気苦労が重なって、心はカラカラ状態。期待して参加した集会なのに、会場でただ座っている、といった感じでした。そんな私でしたが、祈りの中で突然、大きな光が包んでくれていることを感じたのです。温かくて優しい光、でも心の中が熱くなってくるんです。
そして、「私は今、神様の光の中にいる」と思った瞬間でした。涙腺(るいせん)が大崩壊して、涙が止まりません。それは、今まで流した悲しみの涙とは全く違っていました。母を亡くした時も、心を病んで苦しんでいる間も、神様が守っていてくださったことへの、感謝の涙でした。
その時に、「ひかりの中をあゆみなさい」と母が書き残した言葉がよみがえってきました。そうだ、私はどんなことがあっても神様の光の中で生かされている。息子も神様に守られて育っていけるから大丈夫だ、と確信でき、泣けて泣けてしかたありませんでした。
その後も息子は病を発症し、入院することもありました。でも、神様がいつも伴ってくださることを信じて、一緒に祈ってきました。
そして今年、元気に高校を卒業して、やりたい仕事を目指して専門学校に入学しました。ほかの4人の子供たちもそれぞれに、職場や学校で喜んだり、悩んだりと、いろんなところを通っています。

母である私も、そのことで一喜一憂してしまう時はありますが、それでも神様の光の中で、5人が明るく成長できると思っています。そんな子供たちと一緒に、私も成長しているところです。
本記事は、月刊誌『生命の光』866号 “Light of Life” に掲載されています。