わが大和の国をまもり

賛美歌「わが大和の国をまもり」の作詞者は、幕末に尊皇攘夷に奔走した松山高吉。反キリスト教だった松山は、敵を探るために宣教師グリーンのもとに入り込んだが、回心し、明治初期キリスト者たちの中心的人物となった。時をへて敗戦の2年後、昭和天皇の御巡幸中、神戸女学院の中庭で女学生がこの賛美歌をうたった。当時、共に歌った吉村はつねさんは、「宝物のような体験」と回想する。