ここは北海道、十勝の帯広。ばんえい競馬が行なわれることで知られています。

 ばんえい競馬というのは、体が大きく、脚の太い農耕馬(ばん馬)が、重りをのせた何百キロもある鉄のソリを引いて走る競技です。ソリに乗った騎手が手綱を操りながら、2つの障害(坂)を乗り越えて走ります。

 明治時代、人と馬が1つになって開拓に挑み、荒野を豊かな大地に変えていったようすを、今に伝えています。

 はく息も白い、凍るような寒さの中、ある牧場で1頭のばん馬が生まれようとしていました。

 この牧場の源さんは、ばんえい競馬で走る馬を育てて、調教しています。

 「生まれたかあ。やあ、めんこいなあ。他の馬よりずいぶん早く産気づいたから、無事生まれるか心配したけど、よく頑張ったべさ」

 源さんが、お母さん馬をやさしくなでました。前の日の夕方から急に始まったお産でしたが、明け方になってやっと子馬が生まれたのです。

 ほっとした源さんが馬小屋から外に出ると、まだ薄暗い空に、星が輝いていました。

 「したら、子馬の名前は銀河にするべ」

 源さんに、久しぶりに笑顔が戻りました。

 源さんは、奥さんを早くに亡くし、一人息子を男手一つで育ててきました。その大切な息子が、夏の終わりに具合が悪くなり、あっという間に天国へ行ってしまったのです。

 寂しくて、悲しくてしかたがなかった源さんは、やっと生まれてきた子馬は神様が自分に与えてくださったように思えました。心の中に、またあったかい風が吹き込んできたようでした。

 それから2年半。源さんは銀河につきっきりでした。早産だったせいか、銀河は前脚が弱くて、ばんえい競馬に出ることは難しい、と誰もが言いました。

 けれども源さんは、「銀河、おまえの前脚は弱い。けどな、後ろ脚は誰にも負けねえ」と言って、決してあきらめませんでした。坂の途中でよろけて、どうしても上れない銀河に、「おれが一緒におるから心配こくな。力いっぱい、けっぱれ」と励ましました。

 銀河も源さんに励まされると、うれしそうに首をふりながら、一生懸命、後ろ脚を思い切り踏ん張ります。そうやって、だんだん坂を越えられるようになっていきました。

 源さんと銀河は、まるで親子のようにいつも一緒でした。そして銀河は、とうとうレースに出られるまでに成長しました。

 今日は初めてのレースです。騎手は源さん。他の騎手では、銀河はうまく走れないのです。

 さあ、いっせいにスタートしました。最初の走りはまずまずでしたが、坂を前にして止まってしまいました。源さんが声をかけます。

 「銀河、ひざがつくギリギリまで耐えろ。おら、いいべいいべ。1つ越えた。あともう1つだ」

 2つ目の坂も上りきり、後は持ち味の力強い後ろ脚を伸ばし、ゴール。みごと優勝です。それから源さんと銀河は、何度も優勝しました。

 数年の月日がたちました。源さんは、最近、はげしいめまいに悩まされていました。そのためか、銀河はずっと勝てません。

 (おれはもう騎手はできん。銀河は、若い騎手のもとで、もっと力を伸ばしてほしい)

 源さんは、ある朝、騎手たちに言いました。

 「みんな、銀河は、いーい馬だ。これからは、若いもんが一緒に走ってくれ」

 翌月、銀河と若い騎手がレースに挑みました。源さんはじっとそのようすを見守っていました。でも銀河は、源さんの方に振り返ってばかりで、集中できません。結果は、途中棄権でした。

 その後のレースも、銀河はどうしても坂が越えられません。次も、その次もだめでした。

 そしてとうとう、成績しだいでは、次のレースを最後に銀河は引退だ、と告げられました。引退した馬は、処分されてしまいます。

 騎手たちが源さんのもとに来て、言いました。

 「源さん、今度のレースは銀河に乗ってやってください。銀河は源さんでないとだめなんだ」

 源さんはしばらく、考えこむようすでした。

 実は、みんなには内緒にしていたのですが、源さんは原因不明の病気にかかっていました。

 「強く頭をふったりしたら、失明してしまいます。騎手なんて絶対むりですよ」と、お医者さんからきつく言われていたのです。

 源さんは、銀河をじっと見つめました。

 「わかった。乗ろう」

 源さんは、この一戦にすべてをかけよう、と決心したのです。

 レース前日の夜です、空に星が輝いていました。源さんは、銀河が生まれた日のことを思い出していました。

 「あの夜も、きれいな星空だったな……」

 源さんは、いつまでも空を見上げていました。

 翌朝、レースが始まりました。みんないっせいにスタートしました。第1の坂です。銀河は一足一足踏みしめるように坂を乗り越えました。

 先頭の馬を追って、2つ目の坂の前に来ました。源さんが騎手でないと乗り越えられない坂でした。前脚がずるずるとすべります。

 「銀河、ふんばれー」と、手綱をびしっと銀河にあてました。その時に力を入れすぎて、源さんは頭を大きく揺すってしまいました。源さんは突然、前かがみになって、動きが止まりました。

 「ああ、目が見えねえ……。銀河……」

 銀河は立ち止まってしまいました。その時です。源さんの心に声が響きました。

 「とうさん! しっかり、ぼくが一緒だよ!」

 誰の声でしょう? 源さんにはそれが、銀河が言っているように思えたのです。源さんの胸がカアーッと熱くなりました。

 源さんはゆっくり体を起こしました。そして、「銀河、行くべ!」と、手綱を持ち直して叫びました。

 その時、不思議なことが起きました。目は見えないのに、心の中にはっきりとゴールが見えたのです。

 他の馬たちが坂道を越えようとしていますが、なかなか越えられません。

 さあ、銀河と源さんの番です。

 「ハイッ!」

 源さんの声を合図に、銀河は勢いよく土煙を上げて前に進みました。一気に坂を駆け上がり、たくましい後ろ脚でぐんぐん進みます。

 そして、ゴール!

 「銀河!」「源さん!」

 観客の中からドーッと歓声が上がりました。1人が走り寄って、源さんを抱き起こしました。源さんは動けなくなっていましたが、その顔は、うれしそうに微笑んでいました。

 それから数カ月がたちました。

 ばんえい競馬の練習場に、雪が降っています。そこに、銀河を見つめる源さんの姿がありました。源さんは見えない目で、銀河をずっと、見守りつづけているのです。

(おしまい)

文・福田 真二
絵・延広 蘭子