その川は、遠い遠い山のてっぺんから、やって来ました。

 尾根と尾根のあいだの、深い谷間を流れ、やがて平野に出ると、低いところを見つけては、どんどん進んでゆきます。

 見わたすかぎりの大草原にやって来ましたが、やはり、少しでも低いところをさがしだしては、前へ、前へ。

 行く手に何が立ちはだかろうと、とにかく前へ、前へと、どこまでだって進んでゆく。川は、そんな自分がちょっぴりじまんでした。

 やがて川は、砂漠につきあたりました。どこまでも、どこまでもつづいている、はてしなく大きな砂漠でした。

 これまでどおり、前へ、前へと進もうとした川でしたが、ほんの少し、砂漠の上にさしかかっただけで、たちまち、砂にすいこまれてしまいます。

 おっとっと。

 けれど、それでも川は、少しでも低いほうへ、低いほうへと進まなくてはなりません。だって、それが川なんですから。

 ところが、進めば進むほど、どんどん砂にすいこまれてゆきます。でも、だからといって、そこにとどまっていることはできません。それではもう、川ではないのですから。

 進むこともできず、そのまま、そこにとどまっていることもできない。川は、すっかりこまってしまいました。

 その時、どこからともなく、声が聞こえてきました。

 「風なら……」

 川は、おどろいて聞きかえしました。

 「えっ、何だって? いま、だれか、何か言ったかい?」

 「風なら、私たちを越えて、むこうまで、かーるく飛んでゆけるのに」

 それは、砂漠から聞こえてきます。

 川が、声のするほうを見つめていると、それまでまったく気がつかなかったのに、きゅうに、砂漠の上をたのしそうに飛びまわっている、砂の精の姿が見えました。

 声のぬしは、砂の精だったのです。

 川は、砂の精に言いました。

 「そりゃ、そうとも。風なら、この砂漠のむこうにまで、かーるく飛んでゆけるさ。だって、風だもんね。

 でも、ぼくは、地面の上を進んでゆく川なんだ。空なんて、飛べるわけがない。このままつき進んで、きみたち砂の中にすいこまれて、なくなってしまうしかないんだ。

 何だか悲しいけれど、きっと、これがぼくの運命なのさ」

 すると、砂の精がこたえました。

 「そう、あなたが、これまでのままなら、私たちにすいこまれて、なくなってしまうわ。

 それでもあなたが、先に進みたいなら、風に助けてもらわないと」

 川は、砂の精の話を聞いていましたが、そのうちに、何だか腹が立ってきました。

 「とってもかんたんそうに言うけれど、いったいぜんたい、そんなこと、どうやったらできるって言うんだい?」

 川が、イライラしてそう言うと、砂の精は、笑いながらこう言いました。

 「フッフッフ。すっかり忘れているのね。あなたが、どこから来たのかを」

 川は、ますますわけがわからなくなってしまい、とうとう、どなりはじめました。

 「おい! ぼくをからかっているのかい? こんなにこまっているのに、変なことばっかり言ってさ」

 すると、たったいままで砂の上を飛びまわっていた砂の精の姿が、きゅうにどこにも見えなくなりました。

 そして、声だけが聞こえました。

 「信じなさい。あなたは、あなたが思っている、それだけの自分ではないのよ……」

 「何だって? それはどういうことだい。おい、教えておくれ。おーい」

 でも砂の精は、それっきり、もうこたえてはくれませんでした。

 それまで川は、何が行く手をふさごうと、とにかく前へ、前へと、どこまでだって進んでゆく、そんな自分を、ほこらしく思っていました。それこそが、自分らしさだ、と。

 ほかの何かになりたいなんて、思ったこともありません。いや、自分がほかの何かになれるなんて、そんなことがあるのだろうか……。

 いくら考えたところで、何にもこたえはありません。

 そうやって考えこんでいるうちに、気がつくと、川はどんどん、砂の中にすいこまれはじめています。

 「ああ、もうだめだ。ぼくはいったい、どうなってしまうんだ〜」

 にっちもさっちもゆかなくなった川は、悲鳴のようなさけび声をあげて、天をあおぎました。

 すると、高い高い空の上を通ってゆく風が、こちらを見ていることに気がつきました。

 風と、川とが、おたがいを見つめあった、その瞬間です。川は、自分が浮き上がって、高く、高く、のぼってゆくのを感じました。

 その時間、砂漠のあたりは、空高くのぼってきた太陽に照らされて、おそろしいほど、暑くなっていました。その熱で、川は知らないあいだに、蒸発しはじめていたのです。

 そして、いつのまにか、風の中にとけこんで、風と一緒になっていました。

 いまは水蒸気になったもともとの川と、ものすごい速さで空を飛んでゆく風とは、何の言葉もかわしませんでした。

 だって、すっかり一緒、まったく同じになっているのですから。

 風の中の、いったいどこが水蒸気なのか。それはもう、だれにもわかりませんでした。

 ビュー、ビューッと、高い高い空の上を、何にもじゃまされずに駆けぬける、その気持ちよさといったらありません。

 そのうちに、風に乗って、いつのまにか、あのはてしなく広い砂漠を、飛び越えてしまっていたのです。

 やがて、高い高い山のてっぺんにさしかかりました。

 ポツリ、ポツリ。

 山にぶつかると、ひとしずく、またひとしずく、風の中から、雨つぶがしたたり落ちてゆきました。

 「さようなら」

 「ありがとう。さようなら」

 いまは水蒸気から雨水にかわった、もともとの川は、たった一度だけ、風と、そう言葉をかわしました。

 高い高い山のてっぺんに降りた雨水は、地面にしみこんでゆきます。

 それから、長い長い時間、地面の中をくぐりぬけて、やがて泉となってわいて出て、谷を伝い、川になってゆきました。

 何が行く手をふさごうと、前へ、前へと、進んでゆきます。

 川は思いました。

 (そう、そうだった。砂の精が言っていたっけ、「あなたは、あなたが思っている、それだけの自分ではないのよ」と)

(おわり)

*スーフィズム(イスラム教の神秘主義)に伝わるお話から翻案しました。

文・大矢もんど
絵・ほりはつき