この講話は音声でお聞きになれます。(再生時間:12分30秒)
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※音声は1973年にラジオ放送されたものです。以下の文章はラジオ講話の原稿として書かれたものですが、一部音声と異なる箇所がありますので、ご了承ください。

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神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地を従わせよ」
(創世記1章27~28節)

 この聖句は聖書の信仰上に非常に重要な言葉であります。「神のかたち、Imago Dei(God's Image)」が何であるか、ということは、神学の問題としても重大で、神学者のカール・バルトとエミール・ブルンナーが大論争したことでも、有名な言葉です。

 神は人間を創造なさったときに、その「像(かたち)」のごとくに創造された。人間は神のイメージである。そこに人間の尊貴さがあるのです。

 この「かたち」と訳してある原語は、ヘブライ語でツェレムですが、ツェレムとは「影」という意味です。人間は神に肖(に)る影である。形のあるところ、影がある。本体の動くところ、影もこれに従って動く。真の人間は、神の在り給うところ、神の行き給うところ、どこにでも偕にある影のようにと、創られた。そのように太古、エデンの園では、アダムとエバは神と偕に歩きました。随神(かんながら)に生きました。神を離れて、人影も存在しません。

 しかし、アダムとエバが知識の木の実を食べて、神ご自身のように独り立ちして歩こう、として罪を犯しました。2人は神と偕に歩くことを欲しなくなりました。エデンの園でエホバの神が歩まれる音を聞くと、2人は神の顔を避けて、林の中に身を隠しました(創世記3章8節)。暗黒の影は、光を失った状況です。暗闇は光を忌み嫌います。

 エデンの園を追放されて、アダムは地上に呻き、苦しまねばならぬ運命となったというのが、聖書の古い神話です。形に添う影のように愛された人が、奇妙なことに、形を離れてさまよい出すと、本質を離れた虚像となったのです。「神の影」として神を映す鏡のようだったアダムが、造り主のエホバの神を避けるようになった心——ここに原罪というものが発生しました。人間が神の影であることを忘れたら、どんなに利口であっても奇怪な動物でしかありません。