「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

祈りの人

手島 郁郎

 義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである。
(ヤコブ書5章16節)

数の稀(まれ)なること、
暁天の星のごときは祈りの人です。
祈る人は多くとも、祈りの人は少ない。
祈りの人とは、祈祷をなす人ではない、
祈祷によって生きている人である。
祈って事をなす人である。
祈りに全托して、生活する人である。
祈りをもって、サタンを制する人である。
祈りを通して、科学を学ぶ人である。
祈りによって、病をいやす人である。
祈りによって、境遇を変化しゆく人である。
祈りによって、戦争までする人であります。

 祈祷を最大の武器として、勝ち抜いた人の模範は、神の人モーセでした。モーセは、まず神に問い、まず神に伺い、まず神の囁きを聴いて、万事、その身の進退を決した。神に祈りつつ戦い、神の声に従って民を導き、神の御旨を知って民を治めた。祈祷の力で、敵の大軍をも蹴散(けち)らしました。

ある者は戦車を頼み、ある者は騎兵を誇る。
されどわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。
(詩篇20篇7節)

 奇跡は信仰の子です。神の力と、神の心にのみ依り頼んで、自分の知恵、自分の才能に頼らず、つねに、ただ神の御稜威(みいつ)によって人生を戦う者が、祈りの人である。まことに祈りは、全天地をも動かすだけのエネルギーをもつ、と知るのが真の信仰人であります。モーセ然り、エリヤ、エリシャ然り、ハンナ然り、ダビデ、使徒パウロまた然り。

 彼らはみな祈りの驚くべき力を知って、生きた人々である。祈って神の力の発動を待ち、超自然的な結果を期した人々である。彼らはひとしく、絶望の谷底から神に叫び、全宇宙の支配霊、キリストの名をさえ呼べば、何でも万事できると信じ、また、その通りの結果を体験した人々であります。

 祈りの人とは、祈りの実力と、その応験を知る者のことである。祈る人は多いが、祈りの人は少ない。教会でクリスチャンは祈る。講壇で牧師さんは祈る。祭壇で神父、司教は祈る。彼らの祈りは、神に聴かれんためにあらず、人に聴かせるための祈り、祈りの真似である。それは敬虔そうにスクリーンに映る、映画女優の祈る姿と声色に、なに異なるところがあろう。

 彼らはすでにその報いを得たり。
(マタイ伝6章5節)

 祈る人は多い。しかし祈りの人は少ない。友よ、祈りは全地を動かす神の、その聖手(みて)を動かすことである。否、聖手の手先となって、自ら動くに至ることである。

 真の祈りは、鉄石よりも固い宇宙意識にわが祈念を刻みつけてゆくことである。刻みつけた以上は、もう永遠に消えない。やがて事実となって、何らかの形に現象し来るものである。真の祈りなくしてなされた仕事は、どんなに成功に見えても、砂上の足跡のごとく、風過ぎれば跡形もない。

 人々に語るよりも、まず神に語れ。まず神に問え。まず神に聴いて、神学書や宗教書には聴くな。主のごとくに、大いなる叫びと、涙をもって祈れよ。祈りは神聖な労働である。神の栄光はどうしたら顕(あらわ)れるか。どんな祈りが聴かれるのか。

 第一に、神のご意思に反すると思うことは絶対に願わない。すなわち、神は最善の愛であるから、神の最善しか、自分にも他にも願わない、想わない。

 第二に、神のご意志にはどんなことでも(たとえ十字架であっても)従順に従います、と祈りうること。

 この条件下に必ず神の栄光は顕れ、神は無限の力をもってどんな弱い者をも助け、協力したもうべき者なることを体験できる。これが私の祈りの秘訣である。

(『霊響録』より)

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