「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

【特集】幕屋70年&イスラエルの建国70年

 今年(2018年)は、故手島郁郎がキリストを伝える独立伝道を始めてから70年になります(幕屋運動、あるいは原始福音運動の始まり)。また、イスラエルの国が神の約束された地に再建されたのも、70年前です。この2つの出来事は、同じく1948年5月に起きました。

 その後、幕屋とイスラエルの民は、さまざまな出会いを通して、親しい友好関係を深めてきました。以下にその一端を記します。

1948年5月《原始福音運動始まる》

 手島郁郎は、阿蘇おかまど山のふもとで、「たとい主はあなたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、……『これは道だ、これに歩め』という言葉を耳に聞く」(イザヤ書30章20~21節)という神の啓示を受けた。

 神からの迫りを感じた手島は、私財をなげうち、宣教師や教団の援助に頼らず伝道を始める。先の大戦で敗戦し、荒廃した日本にイエス・キリストとその弟子たちの力強い信仰・原始福音を伝えるためである。

1948年5月《イスラエル国の独立》

幕屋聖地巡礼団
独立宣言の家にて
ヘルツェルの肖像(左上)

 先の大戦でホロコーストを経験したユダヤ民族は、その痛みの中でユダヤ人国家・イスラエルを建国。国を失ってから1900年間、世界じゅうに離散していたユダヤ人の、イスラエルへの帰還が進む。

 イスラエル建国は、19世紀末のヨーロッパでテオドール・ヘルツェルが、シオニズムの先駆けとなる『ユダヤ人国家』を著してから50年後のこと。「もしあなたが望むなら、それはおとぎ話ではない」とのヘルツェルの言葉が実現した。初代首相はダビッド・ベングリオン。

関連動画:『ネゲブの開拓 — 砂漠に挑む人々 —』 『砂漠は喜びて花咲き』

1954年9月《幕屋とイスラエルの関係始まる》

左右:スロムニツキー博士夫妻
(1961年)

 長崎行きの列車の中で手島は、イスラエル人のスロムニツキー博士夫妻と出会う。建国後、人口が倍増したイスラエルでは、食糧問題が起きていた。その解決のため、博士はイスラエルで育てられる野菜の新品種を求めて日本を旅行中。手島は、「イスラエル建国は、聖書の預言の成就です」と言って夫妻を励ます。

 博士は1976年に再来日、3週間にわたり各地の幕屋を訪問。博士家族との関係は2代目、3代目になった今も続いている。

1961年9月《初めてのイスラエル聖地巡礼》

 手島は初めて聖地イスラエルを訪れ、スロムニツキー博士宅を拠点にして各地を巡礼した。当時、農業共同体であったキブツを訪ねたときには、理想的な共同生活との感銘を受ける。聖地のもつ意義を思い、幕屋の伝道者と若人をイスラエルに送る構想をいだく。

1963年3月《イスラエルへ留学生派遣》

初期の幕屋留学生

 幕屋より第1次聖地留学生が送られる。イスラエル北部・ギルボア山のふもとにあるキブツ・へフチバが、幕屋留学生の受け入れ先となる。以来2018年までに、延べ1100人あまりが聖地留学を経験。

関連動画:『手島郁郎と留学生』

1964年11月《第1次幕屋聖地巡礼団》

 第1次幕屋聖地巡礼団の派遣。ユダヤ人が最も大事にしている「西の壁」(または「嘆きの壁」)は、エルサレムの東側(当時はヨルダン領)にあった。巡礼団は、イスラエル人の行けない西の壁で祈った後、エルサレムのイスラエル領に入る。

 2018年に、巡礼団は68回目となる。

関連動画:『マンデルバウム門の出会い』

1967年6月《エルサレム回復》

1967年6月12日
「わが生涯、最良の日であった」

 六日戦争(第3次中東戦争)を通し、1900年ぶりに聖都エルサレムがイスラエルに回復される。戦争が終わるとすぐに、手島はイスラエルに飛ぶ。エルサレムの西の壁で、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、我らの神、ダビデの神の約束を、真実を感謝す 日本・東京・手島郁郎」と書いた紙片を壁に差し込み、神に感謝して祈る。

 帰国後、「『嘆きの壁』がイスラエル人の手に帰したことは、『聖史』の一大エポックです。アブラハムに神が約束した聖地に聖なる民が帰り、聖意の実現を期するところに聖書思想の根本があります。この聖書の預言は天地が失せても成就するとは、旧約のみでなく新約の信ずるところです」と語る。

※六日戦争とは、イスラエルとエジプト、シリア、ヨルダンなど中東アラブ諸国との戦い。イスラエルが勝利し、わずか6日で終結した。

1967年10月《『黄金の書』に登録》

『黄金の書』

 イスラエルの真の友として、手島郁郎の名が『黄金の書』に登録される。その後、「イスラエルのための東京キャンペーン」を行なったことに対し、手島の召天後、1974年1月に再び登録された。

※『黄金の書』とは、ユダヤ人と、その国家発展のために貢献した人の名前が記されているもの。シオニズム運動の創始者テオドール・ヘルツェルの名が1番目に記されている。

1968年7月《ナルキス将軍、箱根聖会に招待》

 六日戦争時のエルサレム攻略司令官、ウジ・ナルキス将軍を聖会に招待。極東の日本で、熱狂的に迎えられたナルキス将軍は、「今まで世界じゅうのどこでも、隠れてイスラエルの民に尽くしてくれる友人は、個人的には少なからずあった。しかし、集団としての友はいなかった。……だからマクヤ・グループの存在は、ユダヤ史上で貴重で大きな慰め」と語る。

※幕屋の聖会とは、ある期間(1日~3日など)、聖書を共に学び、祈り、信仰の研鑽(けんさん)・向上を目指して行なわれる集会のこと。

1971年11月《第1回原始福音世界聖会》

見出し
「エルサレム、バンザイ! バンザイ!」
イスラエルの新聞に載った幕屋の記事

 この年の聖地巡礼団は、エルサレムで世界聖会を開く。同年の春、巡礼で西の壁を訪れたとき手島は、「なぜもっとエルサレムに来ないのか」「シオンに帰り、真の聖書の信仰復興、キリスト教とユダヤ教の対立を超えて平和を築くこと」を示される。

 イスラエルへの途上、巡礼団はニューヨーク・ユダヤ神学校で、ユダヤ宗教哲学者のアブラハム・へシェル博士の講演を聞く。博士は、「イスラエルの建国を、神が歴史に関与された徴(しるし)と見るマクヤは、真に神に祝福されている、まれなグループ」と語る。

1971年11月《ピンハス・ペリー教授、幕屋に出合う》

左右:ペリー教授夫妻
(1977年 白馬聖会)

 ラビであり、ユダヤ教・ユダヤ哲学教授であるピンハス・ペリー氏(へシェル博士の高弟)は、幕屋の聖地巡礼団員がいっせいに西の壁にかけより、祈る姿を目撃。これをきっかけにペリー氏と幕屋との友情が始まる。以来、宗教家として幕屋のあり方、行く末に貴重なアドバイスを与える友人となった。何度か来日し、聖会に参加、また講演を行なう。

 ペリー氏の家族は3代にわたり幕屋の友となる。娘のエムナーさんと、その夫・故ベニー・エロン氏(ラビであり国会議員)は、イスラエルにおいて、また来日して幕屋と親しく交わる。エロン氏は1988年、日本での聖会に参加。その娘・サラさんと夫、若きユダヤ教指導者・詩人であるエルハナン・ニール氏は、2011年の聖会に参加。

1972年6月《テルアビブ空港乱射事件への陳謝・見舞い》

空港で救急車を寄贈

 同年5月、日本赤軍ゲリラがテルアビブ郊外のロッド空港(現ベングリオン国際空港)で乱射事件を起こし、多数の死傷者を出す。

 犠牲者の遺族や負傷者に対し、日本人として陳謝。その見舞いのために幕屋の代表を派遣し、日本各地の幕屋では悔い改めの断食をする。見舞金を赤十字社に贈る。それは空港常駐の救急車となる。

1972年7月《第1回白馬聖会》

 長野県白馬村での聖会に、ナルキス将軍夫妻が来賓として参加。ナルキス将軍は、聖会前、東京の集会で「シオニズムの意義」を講演。

 手島は、六日戦争によるエルサレムの回復に励まされつつ、真の霊的宗教の息吹き返しが起こることを願う。そして聖会のテーマを、「新シオン主義の信仰」とし、「私たちが目指すものは、天のエルサレムを慕う純霊的な信仰」と語る。

1973年7月《第2回白馬聖会》

アビグドール・プラゾン氏(中央)

 手島最後の聖会、来賓としてイスラエルよりキブツ・へフチバの村長、アビグドール・プラゾン氏参加。

 手島は「すべてが滅びゆく中に、滅びぬ『永遠の生命』の発見こそ、人生最大の発見である」「天とコレスポンドし、天の心を地に映して生きよ」と説く。

1973年12月《イスラエル擁護のキャンペーン》

 「イスラエルのための東京キャンペーン」が行なわれる。

 同年10月にヨム・キプール戦争(第4次中東戦争)が起こり、世界的に石油危機となる。手島は言う、「この危機に対して、最も必要なことは、日本国政府が毅然として自主的な中立外交の基本姿勢に戻ることです。わが国に何らの害悪を及ぼしたことがないイスラエルを見捨てるなどということは、武士道の恥ではないか!」「キリストなくして私たちの贖いもなく、救いもない。イスラエルなくして主イエスもなく、私の信仰もない」。この叫びに応え、日本各地の幕屋から老いも若きも3000人が参集。東京・永田町から銀座まで整然とした抗議デモを行なった。

 病のため絶対安静の身で陣頭指揮をとった手島は、3週間後の12月25日に召天。

※ヨム・キプール戦争とは、イスラエルとエジプト、シリアなどアラブ諸国との戦い。戦争のさなかにアラブ側は、親イスラエルの国々に石油の輸出禁止、また石油の値上げを行ない、世界的なオイルショックを引きおこす。

1974年11月《「幕屋の森」献呈、キブツ・へフチバに日本庭園寄贈》

幕屋の森(1974年11月)

 この年の巡礼団は、前年に召天した幕屋の創始者・手島郁郎を記念して、ガリラヤ地方のテュラン山に植樹し、ユダヤ国民基金の手によって「幕屋の森」となる。記念式典には、巡礼団員に加え、元駐日イスラエル大使エイタン・ロン氏、ピンハス・ペリー教授スロムニツキー博士ほか、イスラエル人が100人以上列席。ラビが植林の祈りをし、巡礼団員が1本ずつ苗を植える。40年あまり後の現在、石ころだらけだった山上には、青々と木々の茂る森が育っている。

 同年11月、手島の願いによりキブツ・へフチバに日本庭園を寄贈、定礎式が行なわれる。

※イスラエルでは「植樹」が重要視されている。イスラエルは日本の四国ほどの大きさで、土地の60パーセントが荒野である。そのような地に帰還したユダヤ人は砂漠や沼地を開拓し、農地や宅地に変え、農耕に適さない所には植林を始めた。建国以来、イスラエルの国は「荒地を緑の沃野(よくや)に」という努力を続けている。その研究・努力は、砂漠・荒野をかかえた多くの国々によき示唆を与えている。

1986年8月《イスラエル夏期研修会》

 幕屋の伝道に携わっている人たちを対象に、イスラエル教育文化省主催の研修会「ユダヤ教からシオニズムまで」が、エルサレムにおいて開かれる。多くのイスラエル人講師から、ユダヤ民族と聖書などについて学び、原始福音信仰の本質を深める時となった。

1987年8月《第1回高校生イスラエル研修ツアー》

 男子高校生がイスラエルの各地を回り、建国や開拓の精神を学ぶ。初めて聖地にふれた感動は、やがて聖地留学への希望となり、少年たちは幕屋留学生となって、再びイスラエルへ。この企画は今に続いている。

1988年2月《エルサレムにマクヤセンター設立》

 イスラエル独立40周年の祝賀巡礼団が送られ、巡礼後、エルサレムでマクヤセンターの開所式。玄関わきに枯山水の日本庭園、ライブラリー兼集会室、茶室を備えた日本文化を紹介する場。また、幕屋留学生が祈り、生活する場でもある。イスラエルの友人、その家族を招いたり、宗教家、大学教授などを招いたりして、学びの場としても用いられている。

1992年8月《国技館で世界聖会》

 東京両国の国技館で「’92 TOKYO 原始福音エクレシア世界聖会」。日本の各地はもとより、海外20カ国から7000人が集まる。イスラエルより来賓として思想家・聖書翻訳家アンドレ・シュラキ博士が参加され、祝福のメッセージ。

 第2部はナフム・エシュコル駐日イスラエル大使夫妻を迎えて、エルサレム回復25周年祝賀コンサート。イスラエルの第2の国歌といわれる『黄金のエルサレム』の歌手、シュリー・ナタンさん、また、男性デュオ・ハパルバリームがイスラエルより参加。

1996年2月《エルサレム建都3000年祭》

西の壁にて

 ダビデ王がエルサレムを都と定めてから、ちょうど3000年。そのことを記念し、祝うために「エルサレム世界聖会」を催す。日本、北米、南米、ヨーロッパから幕屋の1600人がエルサレムに集まる。西の壁の前で首長ラビ、イスラエル・ラウ師が、「エルサレムはアブラハムがその子イサクをささげても、神のご意志を行なおうとした所」と語る。それぞれの尊い歴史に励まされて信仰生活を送ることを教えられる。

 日本各地の郷土色豊かな踊りをおどりながら、エルサレム市中を行進。その熱気と歓喜が市内をつつむ。夜の祝賀会にはワイツマン大統領はじめイスラエルの友人1000人を招待。和太鼓、日本舞踊、沖縄のエイサーなどを披露し、イスラエルのオーケストラの演奏を楽しむ。

2003年2月《「シャローム! イスラエル」》

 日本とイスラエルの国交樹立50年の年。イラクをめぐる情勢が不安定な中、日本イスラエル親善協会と幕屋の共同主催で、イスラエルの魅力を世にアピールする「シャローム! イスラエル」を銀座で催す。日本の国会議員も多く参加。

 駐日イスラエル大使イツハク・リオール氏はじめ各国大使が出席。イスラエルのモシェ・カツァブ大統領、当時の外務大臣・川口順子氏、東京都知事・石原慎太郎氏からメッセージが寄せられる。曽野綾子氏は、「イスラエルから人生を学ぶ」との講演を行なう。会場に入りきれないほどの人が詰めかけた。

2007年3月《マクヤ・シオンコンサート》

 エルサレムが回復されて40年。大人数の巡礼団が送られ、エルサレム劇場でマクヤ・シオンコンサート。日本人の音楽家が、エルサレム交響楽団の音楽家と共演する。会場いっぱいにイスラエルへの愛があふれる。

 <感謝の声より>
 「昨夜、私と妻は涙が出るほど感激しました。皆さまは、私たちのシオニズムへの愛、イスラエルの地への愛、創造主への愛を強めてくださいました。この忘れがたい一夜を備えてくださって、心より感謝します」

2011年3月《東日本大震災とイスラエル医療団》

 大地震と津波の被害を受けた南三陸町に、イスラエルの医療団50人が高価な医療機器を携えかけつける。幕屋から感謝をこめて表敬訪問。

2018年3月《聖地巡礼団イスラエル建国70年を祝う》

幕屋聖地巡礼団
ヘルツェルの丘で
国歌『ハティクヴァ』斉唱

 聖地巡礼団は国会を訪問。イ日友好議員連盟のイスラエル人議員たちと出会い、歓迎のメッセージを聞く。「先の大戦で、ユダヤ民族はホロコーストを、日本は広島と長崎の原爆という悲劇を通りました。共に灰の中から立ち上がったのが、私たち2つの民です。イスラエルは小さい国ですが、私たちには異邦人の光となる使命があります。どうか皆さんは、日本においてイスラエルの大使となってください」

2018年8月《びわ湖世界聖会》

 今年は、4年に1度の幕屋世界聖会が琵琶湖のほとりで行なわれる。聖会中、駐日イスラエル大使を迎え、イスラエル建国70年の祝賀会が行なわれる予定。北米、南米、アジア、ヨーロッパ各地から多くの参加希望者あり。

※「原始福音エクレシア びわ湖世界聖会」はここをクリック

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