「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

ペンテコステの出来事

手島 郁郎

 五旬節(ペンテコステ)の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っていた家いっぱいに響きわたった(原文は「満ちた」)。 また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
(使徒行伝2章1~4節)

 イエスの弟子たちはこのペンテコステの日まで、皆が集まって熱心に祈っておりました。そして、これは朝も早い出来事ですから、徹夜の祈祷会がずっと続いていたことがわかります。朝早く祈ることが大事ですね。

 インドに行きますと、人々はもう夜明け前からガンジス河などに浸って祈っていますよ。水垢離しながら河の中で祈って、夜が明けるとともに岸辺に上がって、アシュラム(修養道場)で講習がある。それを見ると、インド人はほんとうに信仰的な宗教的な民族だなあと思います。

 さて、ペンテコステの日に皆が朝早く集い祈っていましたとき、突然、激しい風が吹いてきたような音が起こった。原文は「吹く」という字ではなく、「運び込む」の受身です。激しい風が巻き込まれるように、運び込まれるように天から音が起こったというのです。天からの音です。天伝う音が起きたという。ここに私たちが朝早くから祈らねばならぬ理由があります。天来の音を耳にしようと思う者は、ほんとうに熱心に祈って祈って待たねばなりません。「いやあ、もうこれだけ祈ったのに」と言っては駄目です。

 「突然として」と書いてあります。突如として天来の風が音を運んでやって来る前と後とでは、ガラッと変わってしまう。ぜひとも、ペンテコステの天来の風に触れたいものであります。

 エルサレムで松風の音を耳にしながら、イエス・キリストはパリサイ人ニコデモと問答したことでしょう。ニコデモは、「あなたは神から遣わされた教師です。神が偕にいまさないならば、あなたのような不思議なしるしは誰もできるものじゃありません」と言った。イエス・キリストはどう答えられたか。

 「人は霊によって新しく生まれなければ神の国に入ることはできない。風は己が好むところに吹く。汝はその声を聞けども、いずこより来たっていずこへ往くかを知らない。霊から生まれる者も、また同様である」と言われた。(ヨハネ伝3章)

 突如として天来の霊風が吹き来たる。それに触れたら、私たちにガターンと変わる出来事が起こる。これがペンテコステの現象であります。今まで弱かったペテロやヨハネ、ヤコブたちも雄々しい人間に一変しました。

 霊というものは、旧約聖書を見ると神が臨在する時の力です。この霊の力によって天地宇宙が創造されました。また、この霊の力が人間に与えられる時に、枯れ骨の谷の死人のような者も息吹き返してくるということを、エゼキエルの預言に書いてあります。また、この霊に触れる時に預言者となる。不思議な天来の知恵が私たちに与えられます。これを現実にまざまざと得せしめるために現れたのがイエス・キリストであります。

 断続的に神の御霊が臨んだ人たちは、旧約時代にありました。しかし、イエス・キリストは全く御霊の化身でありまして、神の霊ご自身が人間のイエスという肉に宿り、余すなくその栄光を顕したまいました。この霊が、また私たちに臨むように祈り求めるところに信仰があります。これが「父の約束」である。この約束というものは、神様が約束したんですから、必ず成就します。初代教会の人々はほんとうに祈ってその約束を待った。もう駄目かと思って、私たちは止めるべきではありません。強く強く求めねばならぬと思います。

(1970年)

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