「むしろ、あなたたちの中で偉大な者は、若い者のようであれ。命ずる者は、仕える者のようであれ!」と、イエスは言いたもう。
(ルカ伝22章26節)

 新しい世紀は、青年によって開かれる。新しい文明は、若い者たちによって創られる。若きがゆえに、老人に軽んじられてはならない。

 新しい発見、新しい創作は、若い人々が発明するものである。新しい思想は若者の胸に宿る。若い人は、社会的に地位も低く、仕える者のように卑しい階級に見られるかもしれぬ。しかし、新しい時代の指導は、若い人々をして為させねばならぬ。青年なればこそ、果断な冒険もやれるし、若い心なればこそ、新鮮な計画や大きい創意工夫も思いつくのである。

幕屋の友よ、若さを誇れ!
型破りに独想せよ!
時代に独歩せよ!

 イエス・キリストも30歳の若さなればこそ、神の黙示そのままに生きて語り、奇跡的な行動も為しえられたのである。思い切った大改革は若い魂でなければやれない。古びて老化した宗教を革新するのは、若い霊魂の力であり、若い人々の義務である。若い年齢こそ、無限の富を含んでいる。20~30代を思い切り生かした者が偉人である。若い時代を、1日でも空費するな!

 何よりも必要なことは、青年の間に霊的覚醒の運動が起こることである。

 湯川秀樹でも、アインシュタインでも20代の若い時に、破天荒な理論を思いついたのである。コロンブスも、聖ザビエルも、若ければこそ、はるばる新大陸の征覇を志せたのである。年寄りだったら、あんな冒険の大旅行はできるものではない。わが若き友よ、思い切り前進せよ!「若者よ、朝の胎から出る露のようであれ!」(詩篇110篇3節)。老人は退却して道を譲り、若い人々をして躍進せしめよ!

 「日蓮は日本国の棟梁(とうりょう)なり、我を失うことは日本国の柱を倒すなり」と、鎌倉幕府の大権力を恐れず、叫んだ日蓮は若かった。「当代の日本国で、第一に富める者は日蓮なり。命は法華経にたてまつる。名をば後代に留むべし」と、破れ衣に身をまとうて叫ぶのが青年の日蓮であった。

 なんと胸のすくような微笑ましく、爽やかな言葉ではないか。若ければこそ、彼は仏教改新の陣頭に立てたのである。

 日本の歴史を見ても、大化の改新、建武の中興、豊臣時代、明治維新、みな若い人々の計画と、はち切れるような力の爆発の所産であった。

 萩の片田舎で若い人々を指導していた吉田松陰は23歳。彼は密(ひそ)かに、国禁を犯して、アメリカに渡航してでも新知識を得ようとして、黒船に乗ろうとした。それで捕縛されて、死刑に処せられたのである。死んでも、若さを思い切り生かせた人たちは、幸福だ! イエス・キリストでも、乙女ジャンヌ・ダークでも、サンダー・シングでも、そうだった。

 私も、今後、5年以上を生きようとは願わない。若き友よ、私の死骸をのりこえて、進め! 私は喜んで若き友のため自爆して、突破口を開く。希望の新世紀は近い!

私の前には道はない。
私の歩いた後から道が作られてゆく。
無辺際のご愛が彼岸から私を招く。

 身をおどらせて、私は未知の大洋をのりこえて、キリストの御許(みもと)に行かねばならぬ。これこそ、最善最後の冒険である。私も、永遠に青年であるから!

(1965年)