激情の人イエスの信仰 第3回

教理ではなく聖書の現実を

今度、高野山で開かれる聖会(1963年11月)に、アメリカの世界的な聖書学者オットー・ピーパー博士が来られます。大阪基督教学院の土山牧羔(ぼっこう)氏を通して原始福音運動を知って、ぜひ日本に来たいと言われたのです。ピーパー博士は、大神学者といわれたカール・バルトと神学論争を戦わせ、それまでの教理神学というものに反旗を翻した人です。

キリスト教の正しい解釈であると考えられている教理神学をいくら研究しても、それは聖書に現れたパウロやヨハネ、ペテロなどの語る内容とは本質的に異なるものであった。聖書は、頭で考え出した教理を信じるために学ぶのではない。イエス・キリストやその感化を受けた人たちが、何をありありと感じ、何を経験したか。聖書の現実を、ありのまま学び、身につけることが聖書を読む目的である。それで「聖書的現実主義 Biblical Realism(ビブリカル リアリズム)」をピーパー博士は主張し、聖書から外れた神学などを研究すべきではない、と言います。

「かつて私は、三位一体の教理を強く信じた。しかし、それでは聖霊の働きは自分の個人的体験にはならなかった。ただ、聖書を熱愛する読者に接してのみ、自分の心が聖霊の力に対して開かれた」ということを告白しています。

さあ、そういう人が日本に来て、原始福音の代弁をしてくれるのですから、えらいことになりますね。この何年間か、私たちは原始福音を叫んだゆえに、キリスト教界から迫害され、卑しめられてきましたが、神様、貴神(あなた)のなさり方は、なんと不思議でございましょう。

原始福音の運動、熊本の辛島町(からしまちょう)の、この小さい一角から起きた信仰運動が、世界に反響を及ぼす時が来た。あと5年、10年経ったら、これは大変なことになるということがわかります。

9枚の皿

そのような時に、私は思うことがあります。

昔、江戸時代の少し前に、今の愛媛地方を領した加藤嘉明(よしあき)という殿様がいました。当初は禄高わずかに5~6万石の小大名でしたが、名君として知られ、彼の家は連綿として幕末明治にまで及んだといいます。どうして幾代も続きえたのか。それについて面白い物語があります。

加藤嘉明公(江戸時代)

ある時、1人の家来が、嘉明公の宝物で、支那伝来の10枚の皿のうち1枚を過って割るという事件が起こりました。家来はもはや切腹の覚悟。蟄居して殿の沙汰を待っていました。しかし、いつまで経っても何の沙汰もない。ところで、事の次第を聞いた嘉明公は、「なにっ、あの皿を割ったと!」、しばらく声もない。じっと瞑目していたが、やがて静かに、「よし、残りの9枚の皿を持って参れ」とのお言葉。側近が恐る恐る御前に差し出したところが、やにわに立ち上がって9枚の皿を、驚き恐れる家来たちの前で叩き割ってしまった。

さあ大変、ついに殿がかんしゃくを起こされた、もはやご沙汰を待つまでもないと、当の家来、自らあわや切腹という時、殿より使者があり、「何を血迷うぞっ、誰がそちに死ねと言うたか。余は貧しいところから身を立てた城主、余のたのむのは、ただそちら家来のみ。1人の家来を皿1枚に代えられようか。余が残りの9枚を割ったのは、10枚1組の1枚欠けたるを思い出すたびに、あやつが割ったと思い出しもしよう。10枚とも全部なければ、思い出さずとも済むと思うたが故じゃ」

それを伝え聞いた家中一同の感動――ああ、この殿の御為ならば、どんなことでも忍ぼうぞ、と改めて覚悟し合ったというのです。

私はなるほどと思う。貧しければこそ、君臣一体となって互いに信じ、助け合ってきたのです。

私たちの原始福音の運動、この世的には何の見栄えもしない貧しい者たちの小さいグループです。けれども、小さければこそ、私たちは互いに泣きつつ、労り愛し、慰め合ってここまで歩んできた。

私は思う。オットー・ピーパー博士を迎え、私たちの運動にも文字どおり画期的な飛躍の時が来た。世間も私たちを一段と注目もしよう。新しく人も集まるだろう。けれどもその時に、初期にあった原始福音の本質が保てるだろうか。初めのように労り合うだろうか、ということを危惧する。寂しさ、苦しさ、人の無理解、罵詈雑言に耐えに耐えて生き抜いてきたこの精神が、これからもなお脈打つだろうか、と。脈打ってほしいと思う。否、脈打ってこそ幕屋です。

神の導きを信じて

人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」

(ヨハネ伝11章41~44節)

ここで、キリストが奇跡を起こしたもうことをマリヤたちが信じないために、イエスは激しく怒られました。「怒ることと奇跡とは何の関係があるか」と、ある牧師が私に言いましたが、この激情がガッと精神エネルギーとなって死に挑む祈りとなり、ラザロを蘇らせたのです。

「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します」(41節)とありますが、原文には「願い」という字はありません。「わたしにお聞きくださった」です。

また42節は、「あなたがいつもわたしに聞いてくださることを、よく知っていました」と過去形になっております。「知っているのにこう申すのは、傍らに立っている人々が不信仰なので、あなたがわたしを遣わしたもうたということを信じさせるために、こうして声を上げるのです」と言って、殊さらに声を上げて祈られたのです。

そして、大声で「ラザロよ、出てこい!」と言ったら、手足を布で巻かれたまま、ラザロが墓から立ち上がって出てきました。

こうして死人が生き返るという、驚くべき奇跡が起きました。すなわち奇跡が起きる前の前提条件として何が必要であるかというと、それは信仰です。神の愛と力に信じきる心です。しかも、キリストの信仰は知性だけの信仰でなかった。霊が惑乱し、マルタ、マリヤが泣くのを見て共に泣いた。こういうことは神学からは出てきません。涙のない信仰なんて、信仰ですらありません。

どうぞ、私たちは未来が真っ暗で見えない時でも、神に信じ、神の愛を信じ、神の見えない導きを信じて勇敢に歩きたい。歩いてみたら栄光が現れます。いつもそれを確信しておられたのが、イエス・キリストです。祈る前にすでに「感謝します」と言って、必ず道が開かれることを信じておられた。信仰がないところには決して道は開かれません。キリストにおいて「信じる」とは、そのように確実なことです。頭で教理を信じることとは違うのです。

昨日も今日も、永遠に変わりたもうことのないキリストは、私たちに驚くべき見ものを見せてくださる、くださるに違いありません。私たちも大きな見ものを見ようと思って、毎回ここに集まりとうございます。

(1963年)