こちらは音声でお聞きできる講話です。(再生時間:11分38秒)
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 キリストは弟子たちに「この世は私を見なくなるが、しかし、あなたたちは私を見る。私は生きるので、あなたたちも生きられる。その時、私が、父なる神のうちにおり、私とあなたたちが、共にいることを知るであろう」と言われました。
(ヨハネ伝福音書14章)

 先日ある婦人が亡くなられまして、海外に出発する前でしたが、遺骸(なきがら)に私は最後の対面に参りました。すると、小学校1年生の坊ちゃんが、突然に「ワーッ、お母さん!」と言って泣き出しましたので、その悲しい泣き声が耳について離れず、太平洋の上空を飛ぶ飛行機の中でも、可哀相な声が、耳に残ってたまりませんでした。

 死ぬことは、命あるものの終わりだ、と考えて、すっかり死によって、その存在が消されてしまうのであるならば、さぞ皆さん心を苛まれることだろうと思います。しかし、死は暫(しばら)くの別れでして、再会できる希望があります。

 イエス・キリストは、十字架に死ぬ前に「私は、あなたたちを残して、孤児(みなしご)としない。しばらくして、再び私を見るであろう。私が生きるゆえあなたたちも生きるであろう」と言われました。この聖句は、人生の深い宗教経験から発せられたものです。「死は死でない、永遠の生命を知った者には、死んでも、また再会できるから安心せよ」と言われました。死という問題について、心暗い私たちは、来世をよく知る偉大な神の人に聞く方が、自ら独り煩悶しているよりも、疑問がとけやすくあります。

(1973年)