【第1連】  
Tell me not, in mournful numbers,
“Life is but an empty dream!”
For the soul is dead that slumbers,
And things are not what they seem.
我に語るなかれ、悲しげな詩篇にて、
人生はただ1つの虚しい夢なりと。
なぜなら 眠っている魂は死んでいる、
そして 物事は思われている通りではないからだ。

 「悲しい詩篇では私に語らないでくれ。もし語るならば、もっと喜ばしい詩篇を若い魂には歌って聞かせてくれないか」と、ロングフェローは学生たちのために抗議しています。これは悲しげな詩篇に対する1つのプロテスト、抵抗であります。同様に私も抗議したい。

 これは大事なことであります。私たちは、悲しい信仰、悲しげな人生観を一切、心からシャットアウトしたい。消極的なイジけた考え方は、絶対に排斥してしまうことが必要です。世のキリスト教会では、そんな詩が「ああ深刻だ、罪の深さを嘆いて深刻だ。実にドストエフスキー的な暗さが漂っていて、この詩篇の作者は目覚めている」とか、「キェルケゴール的だ。これは近代的だ、実存的だ」とか言っているが、勘違いも甚だしい。深い思想かもしれないが、それは悪魔的な虚無的な深さであって、天の高きに登るような信仰ではない。高きにある者が深きに下ることはできても、深きにある者が高きに登ることはできません。

 「私は傲慢な人間でした。今度という今度は神のムチに打たれて罪を知りました。ほんとうに私は罪人です」と、悲しげに罪のザンゲや告白をしたら、「まあ、あの人は立派なクリスチャンだ」と感心する。そんな教会流の悲しい神学や教理の上に、勝利の『聖霊の信仰』は、絶対に確立できません。こういう信仰に対してロングフェローは抗議している! そんな悲しげな聖句(詩篇)なんか引用してくれるな! と。

光明と希望に充ちた人生観

 さて、その悲しげな詩篇というのはどんな詩かというと、Life is but an empty dream!「人生は虚しい一片の夢にすぎぬ」などというのです。詩篇39篇にもあるように「人生は、はかなく無にひとしい、虚しい一場の悪夢だった」というなら、信仰があるといっても、ないのと同然です。豊臣秀吉は「浪花(なにわ)のことも夢のまた夢」と言いながら死にゆきました。結局、その人が暗い信仰、虚無的な考え方をもっていたら、虚無的な人生しか生きることはできません。

 For the soul is dead that slumbers,「なぜなら、眠っているところの霊魂は死んでいるからだ」(slumberという言葉は、うたたねする、居眠りするという意味です)

 居眠りしている霊魂、信仰心が眠っている魂は、死んだ魂と同然である。人間が万物の霊長であるゆえんは、魂が目覚めて神を知るからであります。神を知らぬ魂は、眠りこけている! そういう連中が「人生は虚しい悪夢にしかすぎない」と言ったにしても、私たちは彼らの思想や意見は聞きたくない。ニーチェのような虚無的な思想は語ってほしくない。

 And things are not what they seem.「物事というものは、それらが思われているところのものではない」

 物事というのは、彼ら虚無主義者が「人生は虚しい夢物語だ」と考えているようなことじゃないんだ。それは思い違いだ。人生の出来事はすべて意味があり、充実したものです。魂が眠りこけているような連中、正月酒に酔いしれているような連中の考え方というものは、本当の事物の真相を知っていません。この世の人が何を言おうが、私たちは死んだ魂の常識を受け入れる必要はない。否定的、悲観的考えに対して、いつも決然として、No! No!と言って進むことが大切です。

 我らは、いかなる人生観をもつか! 勝利の人生観、雄々しい尊い生涯を送ろうと欲するか、それともひ弱でうつろな敗北の人生観か? その人の夢、その人の理想が、その存在を決定します。

 私は新年ごとに、年頭の祈誓をします。自分の生涯にかける行願は何か、この1年に賭ける誓願は何か。人間は、自己を精いっぱいに実現させたときに、ほんとうに魂の満足感があります。新年にせっかく描き抱いた夢も、うっかり人の常識、時代の風潮、テレビ、ラジオ、新聞などの思想に汚染されると、すぐに壊され、奪われてしまいます。この世の声に振り回されるな!

 思想というものは恐ろしいものです。姿がない。見えないけれども、これが心を占領してしまったら、もう思想の奴隷となって、よほどのことがなければその思想から抜け出せません。私たちは現代文学のような暗いはかない読物に対して、「ノー」と言って整理することが大事です。魂を破壊するモノを注意せよ!

 青年期に虚無的、頽廃(たいはい)的な暗いものを読んで蝕まれた魂は、ついに花咲かず、老年になって実に惨めで気の毒です。若い頃、勉強の出来が少しくらい悪い人間でもいい。大きな夢をもって生きる人は、ついに人生を全うすることができます。この1年間、私たちは建設的、積極的な夢に生き抜きとうございます。

(1960年)

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