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※音声は1973年にラジオで放送されたものですが、以下の文章はラジオ講話の原稿と、クリスマス祝会での講話をあわせて編集したものです(『生命の光』512号に掲載)。そのため、一部音声と異なる点がありますので、ご了承ください。

 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
(ヨハネの黙示録3章20節)
 

 私が20歳前後のころに読んだ本に『さまよえるキリスト』という題名の本がありますが、イエス・キリストほど不思議な、神秘な存在はないと思います。

 イエス・キリストは、エルサレムの郊外、ゴルゴタの丘で当時の宗教家たち、また特権階級から恐れられ嫌われまして、十字架の処刑を受けて死なれました。

 その屍(しかばね)は、貴族アリマタヤのヨセフの、岩壁をくりぬいた立派な墓に葬られて、大きい石でふさがれて、警備兵に固く守られていました。しかし、翌々日の朝早く、弟子のペテロやヨハネやマグダラのマリヤなどがお墓に行きますと、墓の入口をふさいだ大きい岩がころがっていて、墓の中は空っぽで、イエス・キリストの遺骸を見ようにも見ることができませんでした。

 弟子たちは落胆のあまり失望して帰りましたが、女のマリヤは諦めきれず、泣きだしてしまいました。すると、背後に、すっくと立つ白い衣を着た人がいて、「マリヤよ、マリヤよ」という声にふり返って見ますと、その人こそは、恩師、イエス・キリストでした。

 ある時は、ガリラヤの海辺にお姿を現して、信仰を失い漁師になって働いている弟子たちに、魚を焼き、パンを用意して「さあ、朝の食事をしなさい」と言って、彼らを慰め、師を見捨てたことを何一つとがめることなく、愛の言葉をかけられるのでした。

 また、迫害を逃れてちりぢりになってゆく弟子たちの中に、エルサレムからエマオヘの道を旅する2人の弟子がありました。そのそばにやって来ては、聖書を説き明かす人がいるので、見ると、それはイエス・キリストでした。やがて、その姿が見えなくなった時、彼らは互いに言いました、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」と。

 また、エルサレムのペンテコステの二階屋、マルコの家に閉じこもって、みんなが迫害を恐れて、おびえていますと、かたく閉ざされた一室に、どこからともなく、壁を透過してか、姿を現されて、人々と共に交わり、語らい、彼らを慰めて「自分の肉は死んだけれども霊は生きている。聖霊を受けよ」と言って、彼らに息をふきかけられました。そして、十字架にくぎづけられた時の両手、両足の血痕を見せたり、また、胸を開いて脇腹の槍で突かれた傷痕(きずあと)を示されたりするので、疑い深いトマスも、「おお、わが主、わが神」と言ってひれ伏し、キリストが霊的に生きておられることを、信ぜざるをえませんでした。

愛する民を求めてさまよう

 また、その後に、ステパノという弟子が、エルサレム郊外で石打ちされて無惨な死を遂げようとすると、上空にイエス・キリストが御姿を現して、じっとごらんになりました。ステパノは天を見上げながら、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」と言って、眠りにつきました。

 また、遠くシリアのダマスコに住む弟子たちが、サウロという男に迫害されて、捕縛されるのを知られると、サウロの行く手をさえぎるようにして、ダマスコ城外の路上に光まばゆい姿で立ち現れて、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。トゲある鞭(むち)をけると、怪我をするぞ」と言われるので、「あなたはどなたですか?」と問うと、「自分はおまえが迫害している、ナザレのイエスである」と言われました。サウロは光まばゆい光線にぶち当てられて、死んだ者のように打ち倒されました。ここで大死一番したサウロは、真の信仰に目覚め、キリストの弟子となりました。その後、パウロと名乗って、アジア、ヨーロッパに大伝道を繰り広げ、目覚ましい働きをいたしました。

 今も昔のように、全世界に苦しめる人々の魂を、また、愛する民を探し求めてさまよいつづけておられるのが、イエス・キリストの変わらない御姿です。

 地上にありし日に、イエスは、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言って、一所不住の漂泊を続けられましたが、人々に追われるままに、異邦の町ツロ、シドンに、ギリシア風の町デカポリスや、ヘルモン山の山深いピリポ・カイザリヤにも身を隠しながら、弟子を教育し、選ばれた魂を祝福するためにめぐられました。

 イエス・キリストは死んでもなお、地上にありし時のように、次々と愛する御民を訪れたまいました。けれども、人々は気づかず、霊なるキリストに冷淡でした。それでもなお追いかけるようにしてご自身を現されました。さまざまな迫害を受け、意気阻喪しそうなパウロにも、幾たびも現れては励まし、伝道をおさせになりました。ヘブル書に「イエス・キリストは、きのうも今日も永遠に変わらない」とあるとおりです。

戦いの最中にも

 第一次世界大戦の時に、最も激しい攻防戦が続けられたのは、ドイツ・フランス間のベルダン要塞でしたが、戦争の最中、夜になると、そこにはひとりの白い光の人影が見える。夜な夜な、敵も味方もその姿を見ると、何かしら神々しい気持ちに打たれたのですが、キリストであると知って、急に銃を捨てて祈りだした、という有名な話があります。

 また、第二次世界大戦が終わって数年経った時のこと、ハンガリーの田舎道をひとりの農夫が歩いていると、向こうから来る異様な人がいる。それは、やつれ果てた憂わしげなイエス・キリストの姿でした。初めは人々はこんな話を聞いても、そんな馬鹿な話はないといって、だれも信じませんでした。しかし、あまりにもたくさんの人々が実見するに及んで、新聞まで「きのうはどこに現れた、今日はどうだった」と毎日書きたてましたので、大変な評判となりました。

 それが単に一個の人間に出会ったというだけでなくて、人々は出会っただけで、神秘な不思議な経験をしたのでした。山奥に、ぶどう畑に、ドナウ河の川沿いに、何かしら悲しげに憂えるような眼差しで、何かを訴えて立っておられるのでした。一人ひとり言うところ、その姿は違い、恰好も違っておりましたが、ただ一致していることは、姿を消されるときにパッと消えるというのです。それが真実の報告でも、ソレを悟る人あり、悟らずに好奇心だけでうち過ごす人もあります。とにかく、不思議な話ではありませんか。私も、終戦後に、阿蘇の地獄高原で、これに似た経験をしたことがあります。

 多くのご自分の民を探すようにしてさまよえるキリスト。これはキリストの特別のご生涯であります。お釈迦さんは涅槃(ねはん)に入る時、多くの弟子たちや動物たちに囲まれ、平安な中に、極楽に行かれたことでしょう。しかし、イエス・キリストは死んでもなお、愛する者のために、地上をさまよっておられるのです。

 神は愛です。キリストは慈悲深い御霊です。人々を祝福しようとして近づかれるのに、人々は頑固に心の扉を閉ざして、容易にキリストを迎えまつろうとしません。人々を慰め、哀れな人たちを愛したいと、愛を求めて近づいても、愛して愛されずに、いつも無視され、扉の外に立たされている門外漢、これキリストであります。

 なぜでしょう。それは人間の罪の然(しか)らしむるところというか、人間が神について、何か霊的な反発を感じるからのようです。

不遇だったイエスの生涯

 ルカ伝の2章には、イエスの誕生のありさまが記されています。ローマの皇帝アウグストは、占領地の国勢調査を行なうために、各自、本籍地に帰るようにと、ひどい布告を出しました。それで、ナザレの村大工のヨセフは、臨月に苦しむマリヤを伴って、ナザレから遠く本籍地のユダのベツレヘムまでやって来ました。マリヤもヨセフも、ダビデの故郷ベツレヘムの出だったからです。

 しかし、田舎のことですし、人が泊まる旅館のような所は数多くありません。あっても満員でごった返しておりました。貧しいヨセフ夫婦が宿を求めても、得られず、やっと臭い馬小屋の片隅に寝かされました。

 マリヤは臨月の身で遠くナザレからやって来たのですから、その夜、すぐにお産をしてしまいました。おそらく助産婦もいなかったでしょう。汚い、うす暗い場所で、有り合わせの布で包まれて、その子は馬草(馬が食べる牧草)の桶に寝かされたのでした。そのような悲惨な生まれ方をしたのが、イエス・キリストでした。

 しかも、生まれると間もなく、父のヨセフに神のお告げがありまして、「王様のヘロデが、付近の男の子を皆殺しにしようとしている。危ないから、エジプトに逃げよ」というのです。ベツレヘムのすぐ近くにはヘロデ王の夏の離宮があります。危険が迫っている。ヨセフは産後の身体の悪いマリヤと、生まれたばかりの新生児イエスを連れて、ネゲブの荒野や、暑いシナイ砂漠を越えて、はるばるエジプトまで逃げました。

 マリヤは産後すぐのことです。どんなに身体を傷めたかしれません。また、生まれたばかりで抵抗力のない新生児にとって、この長旅は、何かよほどの保護がなければできることではありません。

 このように、イエス・キリストが生まれても、家に入れて看病してくれる人もなく、何一つ誕生祝いの宴会もなく、すぐに漂泊せねばならなかったイエスの一家。ほんとうにイエス・キリストは地上にありたもうた時からお気の毒でした。そして、この悲しい運命は、今も変わりなく続いているようです。

扉の外に佇んで

 今は、全人類が「クリスマス」といって、こんな、惨めな誕生をされたイエスの出生を祝って、お祭りをいたします。欧米のキリスト教国はもちろんのこと、キリスト教国でない日本でも、デパートはごった返すように買い物客でにぎわい、キャバレーや食堂はご馳走を並べて、歌をうたい、酒を飲み、踊りはしゃいで夜を過ごす—それが今のクリスマスの前夜であります。このような、酒に酔いしれ、肉欲にただれて、享楽に精神をすり減らし、魂を腐らせている人々に対して、キリストの霊は今も近づき、嘆き憂えつつあるように思えます。

 誕生日の宴会の真ん中で祝われるはずの主人公は、そっちのけで宴の騒ぎは続きます。キリストを信ぜぬ人は論外だとしても、クリスチャンと称する人々まで、欧米でも、日本でも、そうなのです。

 心の奥底に、キリストの霊を迎えまつり、その聖霊を心の中に宿しまつり、斎(いつ)きまつったりすることは、だれひとりしようとしません。人々はみな自己中心で、自分のことばかり考えてやっています。

 人々はクリスマスといって、忙しげにお祭り気分でいますが、何一つ、そのもてなしに与(あずか)っておられないのがイエス・キリストではないでしょうか?

 イエス・キリストの霊は、今も閉ざされた人家の扉の外に佇んで、家の外の寒さに震えながら、愛する人々に対する慕情おさえがたく、こう言っておられるように思われます。

 「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸を開けてくれるなら、わたしはその中に入って、その人と食を共にし(食事を共にするというのは、最も親しく深い交わりを意味します)、その人もまたわたしと食を共にすることができるのに」と。

 私たちを祝福しにキリストは来たりたもう。そのことがクリスマスの一番大事な心です。けれども、訪れたもうキリストを寒い扉の外に立たせたまま、キリストをそっちのけにして、プレゼントの交換や、おいしいものを食べることばかりを考えるなら、もちろんそれもいいでしょうが、キリストは他に愛する民を探しに、再びあてどもない旅に出かけられることでしょう。そう思うと、キリストの弟子たる私たちはたまりません。

 「クリスマス」という日の意味を考え、そんなキリストのやつれた御姿を思い浮かべると、私の心は寂しく、やるせなくてなりません。

2人の天使が見守る中で

 私は今年の3月から、田園調布に移り住んで、ずっと養生をしておりますが、このごろになって私の病気は、肝硬変という死病であることがわかりました。それで寝ているのが一番楽なんです。その寝ている私をイエス・キリストがじっとごらんになる。また、私の横にはひとりの黒い着物を着た天使が気づかってくれています。また、白い衣を着た女の天使が付き添っておってくれます。

 ああ、神様、わたしの生涯、ほんとうにもったいのうございます。こんな者のところに来たりたもう主様、ほんとうにもったいなくてなりません(泣きながら語られる)。神様、いつも自分のことを考え、自分のことでいっぱいのときも、主様、あなたが私たち以上に一人ひとりを愛しておもんぱかっておられることを知ってもったいなくてなりません。

 そのことを抜きにしてクリスマスはありません。また、どうか、ここに集う兄弟姉妹たちが、いつも家庭の中心にキリストを迎えまつり、また、自分の心の中にキリストを、扉をたたいて入りたがっているキリストをお迎えすることができるように。これがクリスマスの一番深い意味です。いや、クリスマスだけではありません。毎日の信仰もそうでなければなりません。

代々木幕屋最後のクリスマス

 先ほど、司会者が「どんな艱難(かんなん)も、しのいでやっていきたい」などと言われましたが、司会者の考えと私の考えは違います。クリスマスにとって一番大事なことは、キリストを私たちの内に迎えまつることであって、何もここで悲愴な決意をする必要はない。

 ただ誤解しないようにしてください。これが他の日なら、君の話は立派です。キリストが山上の垂訓で、「汝ら迫害される時に幸いである」と言われたように、君も代々木に来て住んだものの、悪徳家主からさんざん苛(いじ)められ、あげくには訴えられて根も葉もないことを言われて辛い思いをした。しかし、ついには裁判にもちこんだ向こうが負けて、こちらが勝訴となり、それで証しが立ちました。もちろん、君にも落ち度はありました。それは君が法律を知らないからです。それにもかかわらず、神様は義をあらわされましたから私はうれしくてなりません。

 私が代々木に住んで8年、君にしてみればここでの生活は辛いことも多かったのでしょう。しかし、クリスマスは別のことです。そんな、「今後、悲しいこと、辛いことがあるが頑張ろう」などと、pessimistic(悲観的)なことを言われては、他の人を過たせます。私の主キリストはそうじゃありません。どうかもっと楽観的人生観をもって、どんな時にもお進みください。そうでないとクリスマスが泣きます。

 この代々木での8年間、神様はほんとうに恵んでくださいました。祝してくださいました。こんなに祝された場所は他にありませんでした。しかし、この家は来年4月になったら明け渡します。

 今日は二度とない代々木のクリスマスです。みんなが、自分たちが面白ければよい。また、自分たちが何かであろう、自分たちがしのいでいこうなどと言います。けれども、聖霊は私たち以上に先立って案じて、訪れてくださいますからありがたくてなりません。

 どうか、今晩、ここに集うた諸君がキリストを真ん中に迎えまつって生きられるように。キリストは霊ですから目に見えません。だが、キリストが私たちの中心に立ちたもうならば、立ちたもうような感じなり、表情なりをみんなが持つものです。

 どうか今日、私が申し上げたことを遺言のように思ってください。

※手島郁郎がこの講話をしたのは1973年12月4日、肝硬変の病が重く、座っておられずに、横になったまま語りました。そして12月25日に召天。これが手島の最後の講義となりました。

ガリラヤ地方の虹