人生は来世への架け橋である。橋は留まる所ではなく、通過点である。そこをいかに過ぎてゆくか、ここに人生の問いがある。

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もろもろの民よ、これを聞け、
すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。
身分の低きも、高きも、
富めるも貧しきも、ともどもに。
(詩篇49篇1、2節)

 この詩人は確信をもって、人生とは何かを訴えていますから、「すべての民よ、聞け!」と、大そう断定的な命令口調で語り始めています。

 さて、まず冒頭に出てくる「世」という、ヘブライ語では「ヘレッド」という語が、この詩篇では重大な意味をもっています。「ヘレッド」とは、流転(るてん)しゆく不安定な「この浮き世」を指すのであって、恒久不変な「世界(オーラム)」ではない。はかないこの世に生きる、露にも似た人生をどう思うのか、ここに各自の人生観があります。

 この世でどんなに栄えても、富んでも、権力をもってみても、けっして人間を幸いにするものではない。たとえ、金満家になりましても、大臣大将の地位に昇りましても、けっして人生の絶頂を極めたことにはならない。むしろ飽くなき欲望の地獄絵を見て、人間関係に苦しめられるだけでしかないでしょう。この短い世は永遠の世界に渡るための一過程であることを悟るように、そしてこれこそ万人の人生哲学であらねばならぬ、と詩人は主張しているのです。

 「詩篇」は大概、神への祈りですけれども、この詩は、はかない浮き世にあくせくしている人々への、警世の一喝であり、聖書的な人生訓としてソロモンの「箴言」に近い思想です。

 

(1969年)