白熱する喜びが魂を解放する

A・ヘシェル博士の書斎にて(1971年)

 私たちにとって、この神に捕らえられる時の自由というものは、大きな喜びを伴います。それは、燃え上がる炎のような心、白熱した burning fire (バーニング・ファイア)が湧き起こる経験です。

 キリストは、「わたしは、火を地上に投ずるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。成し遂げられるまでは、わたしはどんなにか思い迫ることだろう」(ルカ伝12章49~50節)と言われた。このような火が人々に燃えつくことこそ、イエス・キリストの悲願でした。

 2年前、皆さんとイスラエル巡礼に行く途中、ニューヨークに寄りました。その時に、先年亡くなられたユダヤ教の宗教哲学者アブラハム・ヘシェル博士が私たちに講演してくださいました。私は実に感動しました。ヘシェル先生は日本からやって来た私たちを迎えられ、「幕屋のグループはヒトラハブート(神にある灼熱の歓喜)をもっています。白熱したものをもっていなかったら、イスラエルに行って、あのような愛の行動はしない」と言われます。

 心が冷たくなっているときは、人の顔を恐れてもう何もできません。心が燃え上がっているから、何でも自由にできるんです。宗教にとって最も大切なものは、燃え上がるような魂の喜びです。

 ヘシェル先生はその著書においても言われています。「現代の宗教は火を失っている。信仰は火である。まず、この火を回復しなければ、聖書の宗教ではありえない」と。これはキリスト教とて同様です。

 また、イスラエル民族の父祖アブラハムの偉大さは、「ひとり子イサクを捧げよ」と神に言われて息子を捧げる準備をしたことにあるのではなく、その心の火が燃えつづけていたことにあった。我を忘れるように心が燃えていたなら、誰でも神の命令どおりにするだろう、ということを言っておられます。

 もう理非曲直、何が善で何が悪かではない。神に捕らえられて心燃やされているから、神様が「こうせよ」と言われれば、「はい」と言って従ったのです。このような燃え上がった魂がアブラハムであった。このアブラハムに始まった信仰を受け継いでおるのが、私たちです!

 ですからヘシェル先生は、私たち巡礼団の者たち100名に、しかも皆ほとんど英語がわからないのにもかかわらず、何かを訴えようとして語ってくださったのです。

 心臓を患っておられるのに、いっぱい汗を流しながら、「ハァッ、ハァッ、ハァッ」と喘(あえ)ぎつつ、声を振り絞るようにして語られた、あの時のバーニング・ファイアというものを、私は忘れることができません。

(1973年)

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