火を地上に投ずるために私は来た! 火がすでに燃え上がっていたら、何を欲しよう。だが、私には受けねばならぬバプテスマがある。それが成し遂げられるまで、私はどんなに思い迫られることだろうか!
(ルカ伝12章49~50節)

 イエス・キリストの最大の悲願は、天上の火が地上に投ぜられ、この火が人々の胸に赤々と燃え上がってゆくことでした。「火を地上に投ずるために、私は来た。その火がすでに燃え上がっていたならば(点火されていたなら)、何を欲しよう。しかし、私には受くべきバプテスマがある。それが成し遂げられてしまうまでは、どんなに苦しい思いをするだろうか」と書かれていますが、キリストがご自分で「苦しい思いをする」と言われることを見ますと、この事が主イエスにとって、よほど重大問題であり、思い悩まれた出来事であるかがわかります。

 現代のキリスト教がすっかり忘れ去り、もう心にも惹かなくなっている一つの大きなポイントは、この聖句であると思います。もし、このキリストの言葉がわからなくなってしまったら、もはや新約の宗教ではありません。しかし、私たちは、主イエスが思い悩むほどに切願されたただ一つの事――「天上の火」に心もやされて、すっかり一変した人間になりたい、と思います。

(1973年)