イメージを作る力

 人は神の像(image of God イメージ オブ ゴッド)に似せて造られた尊い存在です。その最も大事な特性は、イメージを描く力(imagery power イミジェリー パワー)です。これは無から有を造られた神のごとく驚くべき素質でして、想像したことは善悪にかかわらず、どんなにしてでも実現しようと人間は駆り立てられます。

19世紀にユダヤ人が住みはじめたエルサレム新市街

 ユダヤの国が滅びて1900年、離散した民の1人、テオドール・ヘルツェルという男の胸に、もう一度シオンの地に国造りをしたいとのイメージが湧き上がった。そこからシオニズム運動は始まり、多くの人の胸を揺すって、近年のイスラエル建国とはなりました。この間、ユダヤ人は酷い迫害を世界各地で受けました。第二次大戦中には、600万人のユダヤ人がナチスの手で虐殺されました。こんな酷い目に遭ったら、もう理想を断念しそうなものだと思うのに、幾多の困難を乗り越えて、ついに最善のイメージを実現しました。

 反対に、浮かんだイメージが悪いと酷いことになる。一浮浪青年ヒットラーの胸に「ドイツに第三帝国を建てよう」という幻が激しく衝き上げてきたら、瞬く間に彼の率いるナチスの勢力はのし上がり、ついに全ヨーロッパを征服し、このイメージを実現してしまいました。そのため民は塗炭の苦しみをなめ、罪もない多くのユダヤ人が殺され、あげくの果てにドイツは敗残の憂き目を見ました。

 イメージというのは、考えて湧くものではありません。潜在意識の中から衝き上げてくる。それを実現しようと思ったら、人間は実現してしまうのです。

テオドール・ヘルツェル(1860~1904年):ブダペストにて生まれる。『ユダヤ人国家』を著し、当時、ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人の祖国建設を目指す、シオニズム運動を推進。第一回世界シオニスト会議を主導した。「イスラエル建国の預言者」と呼ばれる。

パン種の譬え

 心の内から衝き上げてくるもの、それはパンを作るときの酵母(イースト)に似ています。酵母を小麦粉に混ぜると膨らんでパンになります。キリストは言われました、「神の国を何にたとえようか。パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」(ルカ伝13章20~21節)。コリント前書にも「あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい……わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか」(5章6~8節)とあります。

 私たち人間は、ここでいう麦粉のようなものです。麦粉自身は悪くない。粉の中に入ってくるパン種の良し悪しによって、酸敗したパンにもなるし、よいパンにもなります。ですから、「おまえはどうしてこんな悪いパンになったのか」と、人間を咎めてはかわいそうです。「私はこんな罪のために生まれてきたのではなかったのに、どうして悪いことになったんだろう。どうして自分の運命はこんなに呪われているんだろう」と嘆く真面目な人々が多い。この問題に対して、聖書は「人間そのものはよいものだ。悪いのはむしろ人間に衝き上げてくるイメージだ」と答えていることが重大です。どうしたらこの悪しき映像(イメージ)の衝き上げから解放されるでしょうか?

聖霊の恩化

 聖書において最も大事な戒めは何ですか。「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」、これです。なぜ、こんなに「神を愛せよ」というのか。愛とは2つのものが1つになる引力、憧れているものと結合せしめる力だからです。

 水素はよく燃えるものです。酸素には物を燃やす性質があります。しかし、水素と酸素が結合すると、火とは全く違う性質をもつ「水」という第三の存在に変わってしまいます。同様に、汚いものしか湧かさぬような人間だった私も、日ごと夜ごと、神を慕いに慕っている間に、ついに神の霊に結ばれて清められ、神への愛は私を全く新しい第三の存在と変化せしめました。

 私は15年前(1948年)に、阿蘇の地獄高原で死を求めつつも死ねず、神に嘆き叫びました。そして、不思議にもキリストの神霊に触れました。このキリストの霊が、味気ない麦粉である私に酵母のように混入すると、一変してうましきパンと化しました。それから私の行くところ、すべての人に我ならぬ第三の性質、神の子の性質が衝き上げる回心の奇跡を見るようになりました。私の心に指図を囁き、イメージを衝き上げる霊がすっかり違ってきたことを知りました。この聖霊の恩化の及ぶところ、どんな人の生涯にも同じく驚くべきよき不思議が起こるのを見ます。

 ですから私たちが新年の初めに、まず何をおいてもしなければならないことは、自分の霊を清めるということです。自分の霊を導きつつある守護神と合一するためです。キリストは私たちを導くために、大勢の天使を遣わしておられるけれども、その人の心が他のものに向かって紛れてしまうなら、天使も働くことができない。かえって、よこしまな霊に機会を得させるばかりです。

 最高の神の霊が人間に与えたもう感化はいかに驚くべく清く、貴く、愛に満ちていることか! すっかり、ただ一途にこの聖霊の指導下に入ることが、根本的に大切です。

 兵庫の灘は名酒の産地ですが、ここでは冬の最寒期に酒を仕込みます。冬のいちばん寒い時は、雑菌の繁殖が抑えられるからです。その時、取っておきのいい麹を入れるから、いい酒が醸造できるのです。

 今、白雪も寒く、冬です。もし、「私の人生は今、冬枯れのようだ」と言う人があるならば、今の時こそチャンスです。ここで古い麹をすっかり清算なさることです。

 今晩ここで徹底的に聖霊に清められ、どうかキリストご自身が、麹の仕込みを一人ひとりにしてくださり、よい念願、破天荒な霊的イメージが湧くように祈ります。

(1963年)

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