困難を乗り越えよ

 昨日、世界的な水泳選手で、オリンピックを目指していた那須純哉君に話したことです。

 「君は純情ないい男だ。しかし気が弱い。何か困難や苦しいことがあると、その困難に怯んで緊張する。緊張の末、手足がよく動かなかったために、オリンピックの選考会でもいい記録が出なかった。それはどうしてか。自分が何かをやろうと思うからだ。だが、私はこうありたい、と思うだけでよい。自分でそれを信じるのはもちろんだけれど、それを全うするのは神である。

 見てごらん、大きなゴムボールを水に浮かべ、そのボールを持って深い所に沈めるとボールは手で押さえきれなくなる。これは水圧というものがかかってくるからだ。水圧がかかれば、それに抵抗して浮かぶのがボールの性質であって、こんな所におりたくない、といって押さえ込むほど上がろうとするじゃないか」と。

 これはボール自体の力じゃないんです。周りからの圧力が大きいがゆえに起こる現象なんです。「それと同様に、君は水泳部員として周囲からの妬みやリンチなどいろいろな圧迫があっただろう。その圧迫に対して、『よーし、おれを圧迫するのか。負けないぞー』となぜ思わんか。圧迫が君を完成するんだ。迫害が君を完成するんだ」と言ったことです。

 私もいろいろ困難なことや苦しいことがありますと、人間ですから気が滅入りそうになることがあります。重圧に耐えがたいから、もう逃げようといってこっそり逃げはじめたら、その困難な問題はそのまま残るだけです。けれども圧迫が酷ければ酷いほど、私の心に「これじゃ自分はたまらない。何クソ、やがて浮かび上がるんだ、やがてここを出るんだ、神よ、助けたまえ」という力がムラムラと湧きだすならば、その圧迫や摩擦の力が自分を高めます。

偉大な発見をするために

 人間は、困難が生じ、周囲から圧力が加われば加わるほど、その力が己を高く引き上げてゆくのです。ただ困難や圧迫がいい、という意味ではありません。それらに負けない精神力が大事だ、という意味です。困難、欠乏、不運、これらは嫌なことです。しかし、そこから何か生み出されてくるものがあるなら、これは尊いものですね。キリストは「幸いなるかな、霊において貧しい者は。天国は彼らのものである」と言われた。貧しいということは辛いことです。しかし、貧しさ、苦しさを越えて霊的になり、天国を所有するまでになるならば、大きな発見です。

 偉大なる発見には、必ず困難が付きものです。困難に怯む者には偉大なる発見はない、ということです。私たちは、困難が来れば来るほど、圧迫が加われば加わるほど、今度救われる時にはえらいところに飛び出すぞ、と思うべきです。

 聖書はこういう精神でないと、読んでもわかりません。私たちも人生の深い淵に、暗い闇に陥れられれば陥れられるほど、高く登ろうではないか。それが私たちの祈りでなかったら何になるか。祈りとは、こういうところに神の栄光が現れることなんです。

 「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。……わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます」という詩篇130篇の歌がありますが、この盲人も、真っ暗な深い淵でどんなに嘆いたでしょう。しかし、ついに祈りが聴かれる日が来ました。キリストとの出会いの日でした。だがキリストは、難しいことを言われるお方でした。つばで泥を塗ったり、この急坂を下りてシロアムの池に行って洗えなどと、躓いて当たり前のようなことを言われます。しかし、躓きを越えて信じ抜くことが信仰です。

エリアス・ハウとミシンの開発

 私が子供の頃、母が非常に欲しがったのは、アメリカのシンガーミシンです。このミシンの技術は、アメリカのエリアス・ハウという人が開発しました。彼は生まれつき足が不自由でした。機械工場や紡績工場で働くけれども、家は貧しく、妻は夜なべして針仕事をしなければなりませんでした。彼は、少しでも妻の負担を軽くしたい、一晩に1枚しか縫えないものを、3枚、5枚縫えるようにできないものかと思いました。そうして思い立ったのが、ミシンの開発でした。

 だがそれを試作するのには、どんなに金がかかるかわからない。アメリカには、それを企業化しようなどという人がいなかったため、イギリスに渡りました。なかなか認められませんでしたが、やっとある人が企業化してみようということで、十数台のミシンが初めてできた。でも故障などのトラブルが次々と起こります。そのうち、アメリカにいる妻が肺病になって早く帰ってきてほしいと言う。大西洋を越えてニューヨークに着いたものの、家まで帰る旅費のために、また働かねばなりませんでした。やっと家に辿り着いたら、妻は今さっき死んだという。妻を助けようとしたばかりに妻が死ぬ羽目になったと思うと、泣くに泣けませんでした。

 しかし人間は、そのような残酷な試みの中で魂が成長するのです。普通だったら、もうやめようと思います。けれども、妻はミシンが製品化される日を夢みながら死んでいった。このまま自分が何もしなかったら、妻の死は無駄になる。どうか妻の霊よ、我を助けよ、と言って祈りながら、彼はついに新しいミシンを開発しました。それが後のシンガーミシンとなりました。

 困難が酷ければ酷いほど、「妻の心を地に成し遂げねば」という強い思いがハウという人の心に生じた。それがついに偉大な発明をなさしめ、全世界の女性を助けることになったのです。

 これを思うと、私は苦しみに遭うことはいいことだと思う。苦しみに負けず、そしてこの苦しみを乗り越えられたらえらいことが始まる、という希望さえ胸の中に湧いたら、すべての人がほんとうに救われるということです。

 このような真理は逆説的な真理であります。現在が苦しい状況であるならば、キリストが神の御業を現すために私たちをそこに置かれたのです。周囲から圧迫や迫害があればあるほど、「主よ、どうか私を地上に遣わしたもうた御心を、成し遂げさせてください」という祈りが湧いてなりません。

(1963年)

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