主は彼らの避け所

その時、彼らは大いに恐れた。
神は正しい者のやからと共におられるからである。
あなたがたは貧しい者の計画を
はずかしめようとする。
しかし主は彼の避け所である。
どうか、シオンからイスラエルの救いが出るように。
主がその民の繁栄を回復されるとき、
ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。
(5〜7節)

 「正しい者」とは義人です。神は信仰によって義とされた者と偕におられるからである。外見的には貧しく、卑しい人間を見ると、人はその中身まで貧しいと思いやすい。しかし貧しかろうと、神と偕に生き、神のご計画を行なう者、その人が最も賢いのであります。

 ミス・キルバンの賢さは、そこからきたと思います。そうでなかったら、アメリカ政府の帰国命令とともに、普通の人と同じように帰ったでしょう。しかし母国の政府の方針に反してでも、彼女が踏みとどまったのは、神と偕に生き、神の声を聴き、神のご計画を知ったからです。

 「しかし主は彼の避け所である」(6節)。「避け所」とは、逃げ場所、隠れ場という意味です。神の懐に逃げ込むことが信仰です。聖書は、「神様、あなたの存在を信じます。あなたの教理を信じます」という現代キリスト教のような信仰を教えていません。ダビデが何ゆえ、強かったか。神の懐に逃げ込むことを知っていたからです。

神のご計画に聴いて

 私は、今朝も早く起き出て、祈り心地で散歩しておりました。祈り心地といっても、何も私は神様に訴えることはありません。多くの人は、「神様、ああしてください、こうしてください、何が欲しいです」と願います。そういう祈りもけっこうです。しかし、私はいつでも満ち足りていますから、何かが欲しいとは思いません。それは、やせ我慢ではありません。私が願うのは、「神様、私は残る生涯、何を、どうしたらいいでしょう。また、今日は、明日はどうしたらいいんでしょうか」ということです。自分のことだけではない。人様に対しても、そのように神様に問うております。「神様、あの方にどうお勧めしたらいいのでしょうか」としか考えません。

 A君が韓国伝道に近々お立ちになる予定でしたが、「いや、聖地イスラエルに巡礼されるほうがよい」と今朝、示されました。それで、「ぼくが応援するから、韓国行きをやめて聖地巡礼に行きなさい」と勧めたことでした。そんなにクルクルと変わっていいのか、朝令暮改だと、人は批評するかもしれません。しかし私は、神と偕に歩くことがいちばんよいことで、神のご計画に従うことがいちばん賢明だと思うので、「これがいい!」と思ったらすぐ勧めるんです。従う、従わないは、その人の自由です。しかし、一応お勧めしてみるのは、私の義務です。

 急なことで、やはり最初A君はどぎまぎされたが、「そうしましょう」と言って決心された。先ほど彼がここで、神に委ね、未来が開けることを感謝して語りました。私もこの友の喜びを見て大変嬉しかった。今年の夏期聖会のために、「汝(な)が立つ明日を信ぜよと」という歌詞を入れた主題歌を作りましたが、神の導きに従って歩くと、ほんとうによき未来が開拓されてゆきます。

 多くの人は自分本位に考え、自分の立場、自分の今までのやり方を頑として変えません。それでは、神様が何かよいことをしようとされても、なされようもない。それでいて「なんで自分は恵まれないのか」と神を恨む。「ならば、あなたは神に聴いて生きているか」と言いたい。私の祈りは「何かしてください」と神に嘆願する祈りではない、「神様、どうなんでしょうか」と神のご計画を聴くことです。それが仮に困難であっても、「そうしましょう」と実行いたします。

主よ、御心をなさせたまえ!

 私は大阪から東京に移ってきまして、約1カ月近くになります(手島郁郎は1966年9月、若い世代に後事を託し、それまで伝道していた大阪から東京に居を移した)。こちらに来てみますと、いろいろと思うに任せぬことが多いです。自分の都合を考えたら、大阪にいたほうがずいぶん楽でした。しかしながら、神様、あなたのご計画に従って、私は残る数年間を送りたいものです! それ以外に何を願いましょうか、と思うと、私の祈りはこれです、「時々刻々、神様、御心に反した歩き方はしたくありません。人から嫌われてもいいです。主よ、御心が天に成るごとく、地上にいる間、御心をなさせたまえ!」と。

 ですから人様と判断が違います。私が賢いというのではない、私は愚かです。けれども、神のご計画を求めるということには熱心です。神のご指示を仰ぎ、「もしそうであるのでしたら、神様、そういたします」と、すぐ自分の計画は変えます。

 大事なことは、神の計画のほうを守ることです。そして世を挙げて自分を非難し、石打ちする時があっても、神に寄り頼むこと。そういう信仰はどこから始まるかといえば、コンバージョンです。それなくして霊感は来ないし、確実に「神、支え導きたもう」という信仰に入りません。

 7節には「どうか、シオンからイスラエルの救いが出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき」とあるが、「繁栄」は「運命、捕らわれ」という意味です。シオンの山から神の義が朝日のごとくに輝いて、全イスラエルに照りわたる時に、捕らわれたイスラエルの運命は救われるという。どうぞ、私たちの心にも、そのような光が臨んで、ほんとうに変えられとうございます。

(1966年)

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