ミス・キルバンの面影

ミス・キルバン

 先日、画家のYさんから富士山の絵を頂き、富士山の姿に触れて回心された話を伺いました。富士山の美しさに見とれる人はあるでしょうが、心まで変わるほどに影響が与えられるかどうか。その話で思い出したことがあります。ミス・キルバンという婦人のことです。

 私が少年時代に在学していた熊本県立商業学校というのは、商業学校にしては珍しい学校でして、当時4人もの外国人教師が教えておりました。大正15年(1926年)、その中の1人の先生が退職した後に、若いアメリカ婦人で、エリザベス・キルバンという名の宣教師が、英語教師として赴任してきました。なにしろ、男ばかりの学校にただ1人の女性です。しかも真っ赤なタイトスカートをはいた、ヒップの大きいアメリカ婦人が入ってきたので、先生も生徒も度肝を抜かれました。少年たちの目には非常にハイカラに映りまして、みんな好奇の目をもって、彼女の一挙一動を注視しておりました。

 私たちも初めは野次馬半分でしたが、後には心から敬愛して、キルバン先生の授業を喜んだことでした。

 彼女は明朗で、よくアメリカ式のユーモアを飛ばされるので、英語の会話も面白いものでした。しかも積極的な、愛情のある先生でした。わずか1、2年でありましたけれども、そのキルバン先生は少年たちの心にいつまでも消えることのない印象を残しました。やがて、仙台の方へ行かれましたが、彼女のその後の消息については何も知りませんでした。

熊本滞在時のキルバン女史

 後に、賀川豊彦先生が、「ミス・キルバン、ミス・キルバン!」と言って称賛される婦人宣教師がいましたから、誰のことだろうと思っていましたら、若き日に熊本商業で教鞭を執っていたキルバン先生、その人でした。

 この人は、日本に伝道するために日本人のようになろうと、謙虚に日本語や文化を学びました。そして、日本の国とその文化をこよなく愛していました。第2次大戦が始まる前に、すべての在日アメリカ人に米国政府から帰還命令がありました。しかし、彼女は帰りませんでした。戦時中も、交換船に乗せられて外交官その他と共に帰国すべき機会がありましたのに、帰らずに東京の収容所に収容されることを喜んでいました。「私は神様の命令で日本に来ました。神様が、日本から退却せよ、と言われないうちは帰れません」と言って、男の宣教師たちでさえ逃げ帰ってゆくのに、ミス・キルバンは毅然として一身の危険を顧みず、日本に踏みとどまられました。

富士山を見て回心

 やがて終戦になっても帰国されず、戦後の物資乏しい日本に残って、私たちと飢餓を共にされ、米軍の飛行機が収容者のために救援物資を投下すると、キルバン先生は風呂敷いっぱいに包んで困窮者に配って回られました。その頃、私は再び熊本でお会いしました。

 間もなく、戦争犯罪人の裁判が行なわれると知ると、ご皇室のことを心配して、母国の人々に手紙を書き、進駐軍にも働きかけて、「天皇陛下を戦争犯罪に問うては絶対にいけない。日本という国は、ほんとうによい国であって、アメリカ人は日本を知っていない」と言って憚りませんでした。戦後の日本の世相を嘆き、国民の精神の復興のため伝道に奔走されたミス・キルバンはついに病に臥し、療養のため帰国しましたが、そのまま天に帰ってしまわれたのでした。

 さて、私が熊本商業で教わっていた頃のキルバン先生は立派でしたが、賀川先生が絶賛されるほどの人とは思えませんでした。どうしてこんな勇気のある尊い生涯を送るに至ったのか、私には大きな疑問でした。彼女を救ったものは、富士山でした。

 ずっと後になって知ったことですが、昭和3年(1928年)のこと、彼女は伝道しつつも信仰に行き詰まり、過労で体調を崩して、静養のため、ひと夏を御殿場で過ごされた。祈っても力が与えられず、「もうたまらない」と呻いた時に、朝まだき、ふと仰ぎ見た富士山が燃ゆるように赤富士になっていた。その荘厳な姿に打たれた時、ガラッと心が一変、そしてコンバージョン(回心)された。

 あの富士の姿がコンバージョンさせたのか、神の霊が働いて「まあ!」と言って目が開けて、心までひっくり返ってしまったのか、とにかく燃えるような富士を仰ぎながら祈りつつある間に変わられた。神の臨在に触れたからです。その時に富士山という美の発見があったけれども、それ以上に尊いのは、神の発見です。このことほど驚くべきこと、また強いことはありません。

 それ以来、神に霊導され、神に聴いて生きる生涯に入られた。この時の回心を記念したのでしょう、後には、日米戦争の様相が濃くなっていた時節にもかかわらず、「帰留伴富士恵(キルバン フジエ)」と名も改めて帰化を願い、日本に留まるのも去るのも、神の霊導に従う決意をなさったのでした。

 私は外国から来たいろいろな宣教師に出会いましたが、キルバン先生以外にほとんど誰からも影響は受けませんでした。逆に、こんなのがキリストの宗教であろうか、と怒りが込み上げるような、キリスト教を毒する連中ばかりでしたが、この先生にはほんとうに頭を下げました。

 神は語る! 神に聴いて、神と偕に生きる人がいかに強く尊くありえるか! 聖霊による回心こそ、その秘密力であります。

善悪の判断の基準

 神と偕に生き、神がありありとわかる生涯は、どうして始まるのか。

 電波というものは空中に飛び交っていますが、スイッチが切れて電流が通じていないラジオやテレビは、その装置がどんなに立派なものであっても感応することがありません。

 神の霊導というものも同様です。立派な人間はたくさんおります。そして神は語りかけておられます。しかしながら、聖霊という電流が通っておりませんから、心のスクリーンに神の御思いが映るということがない。だがある時に、グワーッと神の霊が働いて心がひっくり返りますと、驚くべき世界が見えだします。地上に見えるものについても、今までと見方が違ってきます。神がありありと在(いま)したもうことを知り、神に導かれる生涯が始まります。

 富士の霊姿に打ち変えられて以来のミス・キルバンは、多くの人が自分の身が大切で後生大事に生きるような時に、我を忘れて働かれました。賀川先生も「もしミス・キルバンのような宣教師が日本に10人もいてくれたら、どんなにか日本の教会は変わるだろうのに」と言って、その死を惜しまれました。

 何が善であり、何が悪であるかは、人間が決めることではない。神の御意(みこころ)を求めて生きる者が、最も聡明であり、最も善き道を歩いたということがよくわかります。

 神様は人の子らを見られたが、「彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた」(3節)。「人の子」、すなわち当然、神を知っているはずの人間を見たが、なんと彼らは神を全然知っていなかったというのです。だから悪が行なわれ、腐れはてた、恥ずかしいことが行なわれる。そのような者は、自己中心にものを考えますから、神を呼ぶことをしません。

 「人の子」と称する宗教家が、もし人々を神の御霊をもって潤すことをせず、贖いの業をせず、ただ教会堂を建てて宗教行事を繰り返しているだけならば、そんなことが宗教の名に値するだろうか。民を掠(かす)め、奪っている。だがそんな人たちも、ある時にハッと目が覚めることがあります。

(1966年)

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