人間、いちばん確実なことは、いずれは死ぬということです。人間は死ぬまいと思っても、皆死んでしまいます。死んでしまったら無に帰する、そう思うと、はかないものです。

すべてのものが朽ちゆく中に

 私が若い時には「人生50年」といいまして、50過ぎると皆「年寄りになった」と言って死んでゆきました。最近は70になってもなかなか死にません。だが、たとえ長生きしたとしても、やがて死んでしまいます。

 徳川家康が江戸幕府を開き、300年の間、徳川家が日本を治めました。しかし、嫡流は絶えてしまい、御三家の1つ水戸出身の徳川慶喜が最後の将軍になり、徳川幕府は終わりを告げた。長く続いてもその家が繁栄したのはわずか300年。栄えたといっても、その程度です。地球の歴史が50億年というのに比べれば、なんとはかないことでしょう。

 だが、この地球といえども、やがては死んでゆきます。また、太陽のような恒星さえも、光を照らし、エネルギーを放出するだけ放出して赤く大きくなった後は、爆発するか、収縮するかして、やがて死んでゆくといわれます。大宇宙には、そのような恒星の墓場が、ブラックホールや白色矮星として無数にあります。宇宙といえども、決して悠久ではありません。

 このように、一切のものが死んでゆき、一切のものが虚無に帰するというときに、私たちはどうなのか。一生懸命築き上げた事業も、家庭も、芸術も、文明もやがては亡びます。これは確実です。亡ぶことのために努力するのであったら、何の意味があるでしょう。

 だが、一切が虚無に帰して死んでゆくような状態の中にもすでに新しい全然違う生命、永遠の生命が兆している。2000年前、地上に現れたイエス・キリストこそ、この永遠の生命が人格として具現したお方でした。女の人が母親になる前、新しい生命を胎に宿すと「つわる(もともとは「芽が出る」の意)」ようになりますが、このイエスを通して、亡びゆく私たちの内にも神の御霊が宿り、神の子としての生命が新しくつわってきつつあります。使徒パウロも、「全宇宙は神の子が生まれ出るために産みの苦しみをしている」と言いました。

 この亡びゆく、目に見える世界の底辺から浮き上がろうとしている、「永遠の生命」という亡びない生命。これは、見えるものではないから、多くの人がわからずにいます。しかし、私たちはこの生命に負われて次の世界に行くのです。そのような生命を見出すことこそ、人生の究極の理想ではないでしょうか。それならば、どうやってその生命を得るのか。

わが肉を喰え、わが血を飲め

 それについて、イエス・キリストはこう言っておられます。

 「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」
(ヨハネ伝6章53〜54節)

 ここで「わが肉を喰え」と言われていますが、イエス・キリストの肉体の中に霊がある、この霊が大事なのであって、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、生命である。この霊を、生命を吸収するように」というのが、イエスが力説されるところでした。

 また、「わが血を飲め」と言われていますが、聖書において「血」は「生命」を意味します。イエスに宿った生命は、聖なる御霊ともいうべき生命です。ペテロ第1書1章2節に「イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、……御霊のきよめにあずかっている人たちへ」とありますが、「血のそそぎを受ける」ということは、キリストの内に宿っていた霊的な生命、神の御霊が私たちに分け与えられることです。そこに救いがあるのです。

 私たちを救うものは肉ではない、霊である。イエスが幾度も「わが肉を喰え」と言われますが、これは「τρωγω トローゴー」というギリシア語で、ただの「食べる」ではなく、獣などが骨をガリガリと噛み砕いて、しゃぶるような意味の言葉です。しゃぶるのはなぜでしょうか。大事なエキスを摂るためです。イエスの言葉においては、それは生命です、霊です。自分が語っている言葉に宿る霊を汲むことが大事だということを、「わが肉を喰え」と譬えで言っておられるのです。

御言葉の中にある霊を受けよ

 私たちが食物を取る場合に、その栄養分を摂ることが大事です。同様に、本を読むとき、わけても聖書を読むときに大事なのは、言葉の内容を受け取ることです。

 日本の古代においては、ニニギノミコト、ヒコホホデミノミコトなどのように、神のような人を尊んで「ミコト(御言)」と言いました。その人たちの言葉には、何か不思議な真実が、力が、霊があったことを意味します。普通の人と違った言葉の内容をもっている、と信ぜられてきた。

 また、日本人は昔から、「わが国は言霊(ことだま)の幸う国である」と言って、言葉に宿る霊、言霊の力というものを非常に大切にしてきました。

 ですから私たち日本人には、イエス・キリストが、「わたしが話している言葉の中には霊がある。その霊を受けよ!」と言われた意味がよくわかると思います。

 イエスの言葉の中に含まれているのは、霊、生命という内容であった。この霊が言葉を媒介にして伝わるときに、死んでも生き返るような不思議な作用をするのです。ほんとうに悩み苦しんでいる人であっても、急に心が開けて天が臨むような経験があります。

 湘南幕屋のY夫人が亡くなられる時がそうでした。私がお見舞いに行きました時は、もう呼吸困難で酸素吸入して、お顔は真っ青になっていました。しかし、1時間ぐらいお話ししつつある間に、刻々と拭うように清いお顔になってゆかれた。語る者の言葉の中に霊があり、またそれを聞く人が、霊を汲むことができたからでしょう、だんだんお顔が輝いてきました。最後には一緒に記念撮影をしましたが、湘南幕屋の皆さんが、今まで見た中でいちばん美しいお顔だった、と言われていました。これこそ永遠の生命の、1つの小さな作用ではないでしょうか。

(1973年)

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