神の言葉が溢れるように

 ですからイエス様は、ご自分を信じたユダヤ人たちがやって来た時に、「ほんとうにわたしの言葉の中に宿るような経験をしなければだめだよ」と言われたのです。詩篇第1篇に、

幸いなるかな、悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人は。
このような人は主のおきてを喜び、
昼も夜もその御言葉のお指図を思う。

(1~2節 私訳)

とあります。2節の「思う ハガー」というヘブライ語は、言葉が口をついて出てたまらないような状況をいいます。神のお言葉が、もう次から次に口をついて出て、「ああ、あの時は、あのようにおっしゃった」と、たとえ一句であったとしても、それが何度も何度も力になって溢れてくるのです。

 このような人になったら、もう罪人の道を歩いたり、悪しき者のはかりごとに誘われて「オイ、こんな計画があるから、これで大儲けしようじゃないか」と言われても、心がそちらに向きません。自分の胸から沸々と滾るように、神のお指図の言葉が湧いてくるからです。

 私たちもそうでなければなりません。そうしたら下手に頭で考えるよりも、「感激、感謝」と言って、どれほど不思議な展開を毎日経験するかわかりません。私たちにとっていちばん大事なことは、それです。「キリストの言葉の中に」といっても、過去において語られた言葉はパターンとはなりますが、現在、御言葉の中に浸るようにして人生を歩いていることが、真の弟子たる条件です。

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