内なる衝動

 聖書はそれに対してどう答えているか。ユダヤ人の宗教哲学者マルチン・ブーバーは、この問題についてこのようなことを言っております。

 人間は本来、造られた時はよい存在であったのに、神は人間を造ったことを悔いられた。その思いはかることがみんな悪いことばかり、暴虐なことばかり、すなわちテロ、エロ、グロ、ナンセンスなことばかりであるからだ。

 この「思いはかる」という言葉は、英語の聖書では、「想像 imagination イマジネーション」などと訳されています。これはヘブライ語で「イェツェル」という言葉であって、「想像」というより、「image(イメージ)を作る力、衝動」という意味である。すなわち、私たち人間の心の中に浮かんでくるいろいろな思想やイメージを実現しようとする情熱があって、それが人間を誘(いざな)う。その衝動、これが悪いのだ、これを放任していると悪いことを起こす。それで人間は、悪い衝動をも神の愛の中へ伴い入れなければいけない、ということを述べております。

 たとえば、テレビは機器としてはよいものです。しかし、ろくな番組がありません。特に、夜の番組は見ておられない。家庭ではとても見せられない。家庭を破壊するような番組ばかりです。子供の番組にしてもそうです。

 これはなぜかというと、テレビの番組を作る制作者の考えが非常に下劣で営利主義的なためです。それで肉感的で暴虐な内容になる。そういうものを放映するから悪いのであって、テレビ自体が悪いものではありません。それと同じように、人間は造られた時には、はなはだよかった。しかるにその頃の人間は、もう心の奥底から何か衝動的に悪いことばかりが浮かんでくる。それで、これは手に負えぬといって、神様は処置しようとされた、と聖書は言っているのです。

マルチン・ブーバー(1878〜1965年): 20世紀を代表するユダヤ人宗教哲学者。『我と汝』を著し、対話の哲学を提唱。また、ユダヤ教の神秘主義的な革新運動であるハシディズムを世界に紹介した。旧約聖書を原文のヘブライ語からドイツ語に翻訳。

(1973年)

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