イエス・キリストは、「わたしは1人ではなく、わたしを遣わされた方がわたしと一緒だ」と言って、いつも「同行二人」、目に見えないもう一人の方、父なる神様と共にいることをお感じでした。今日お読みするヨハネ伝の8章14節以下にも、「わたしの証しは真である。わたしは1人ではなく、わたしを遣わされた方が、わたしと共に証ししてくださる」と言われています。

光の象徴するもの

 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」
(ヨハネ伝8章12節)

 イエスは仮庵の祭の時に、エルサレムの神殿の内庭で教えておられました。この時代、仮庵の祭の間、そこには4つの高い燭台が立てられ、灯(あかり)を1週間、晧々(こうこう)と灯しつづけておりました。その光は何を象徴しているのでしょうか。

 イスラエル民族は、今から三千数百年前、エジプトで奴隷のような状態にありましたが、主なる神がモーセという人物を用いて救い出された。だが、出エジプトして40年間、カナン(現在のイスラエル)の地に帰るまで、荒野をさすらいながら、天幕(仮庵)での生活を続けねばならなかった。そのことを記憶するのが、仮庵の祭です。

 あの厳しい荒野の中で、主なる神はイスラエルの民と共に進まれ、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導かれました。また、イスラエルの民の宿営の真ん中に置かれていた「会見の幕屋」(神の箱が置かれ、主なる神への祈りが捧げられていた)の中では、ただ七枝の金の燭台だけが暗きを照らしていました。

 そういうことを予備知識として知っていますと、イエスが「わたしは世の光だ」と言われることに、ピンとくるのです。何もない場所で「光」と言われてもよくわからないが、朝早くまだ真っ暗な中で、4つの灯の光が見えておりましたら、「世の光」という言葉がいっそう意味深く感ぜられたでしょう。その不思議な光が導いてくれたから、自分たちの先祖はついに出エジプトすることができた、ということを思い起こすわけです。

 私たちもまた、その不思議な光の存在を知りたいものです。

七枝の燭台のモニュメント
(エルサレム・国会議事堂)

(1973年)

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