人を責めることなく

 人生、いろいろな問題があって難しいですよ。そんなに理屈のとおりに、筋書きどおりにはゆきません。一つの理屈や筋道を通すなどといったようなことは、できたらけっこうだが、さまざまな事情が絡み合って、問題は解決がついたつもりでも、つかない場合もあります。

 同志社大学の前身、同志社英学校ができた当時、新島襄(じょう)先生は徳富猪一郎(のちの蘇峰)、その他の熊本から来た青年たちと、それまでの在校生との折り合いが悪くてその収拾に困ったことがありました。そんな時、学校の都合で、これまで上級と下級に分けていたのを一緒にして教育することにした。すると猪一郎などが怒って、授業をボイコットするという事態となりました。貧乏な小さい学校ですから、経営困難で、あまり先生もいない。そうすると合併教育をする以外にない。しかし、青年はとかく理屈を言います。それでなかなか問題が片付かない。いちおう収まったけれど、なおボイコットした学生たちの処分もしなければいけない。

 とうとう新島先生はある日、「諸君、ほんとうにすまん。悪いのは校長である私だ」と言って、大きな杖を持って自分の左手を、何度も何度も腫れ上がるまで打ち叩いたのです。生徒たちは驚いて、それで事件は解決しましたが、徳富猪一郎は責任を感じて退学してしまいました。けれども生涯、新島先生への敬慕の念は変わらなかったそうです。

 そのように、新島先生も己自身を打ち叩いて、学生たちを責めることはされませんでした。

(1973年)

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