無垢の審判

 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
(ヨハネ伝8章7~8節)

 パリサイ人らは問いつづけて、「どうなんだ、あんたは。さあ答えてみろ。殺せか生かせか、どっちだ」と迫ります。「殺せ」と言えば、その娘がかわいそうだ。だからといって、この娘を赦したらどうなるか。これは人民裁判ですから、イエスはモーセの律法を破る者としてその場で断罪されてしまいます。それで、彼らは問うことを続けてやまないのです。

 すると「イエスは身を起して」とありますが、これは「すっくと立ち上がって」という字です。民衆が一人の娘を吊し上げている中に、頭を垂れて黙って地面に何かを書いておられたイエス様が、急にキッと立ち上がられたというのですから、これはその決心のほどを示しています。

 「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。原文では「投げつけよ」で命令形です。石打ちの刑の場合、最初の石打ちは、たいがい長老か、その現場を確認した証人がしておりました。その後、皆がワーッと一斉に手に手に尖った石を持って、しかもすぐ近くから打つのです。側(そば)に寄っていってなぶり殺す、という残酷な刑があったんですね。それも、そんな罪を犯さないように秩序を保つためだったのでしょう。

 でも、イエス様はさすがですね。第一の石を「長老が」とは言わず、「罪なき者が」と言われた。「罪なき者」というのは、「律法に違反したことのない者」ということですが、ここではいろいろな意味にとれます。モファットという聖書注解者はこの箇所を、「無垢(むく)な者(the innocent ジ イノセント)がまず第一の石を打て」と訳しております。性的な過ちのない者が、ともいえるでしょう。

 そして、イエスはまた身を屈めて、地の中に書きつづけられた。イエスを陥れるためには一人の女を殺してもいい、という冷たいパリサイ人の心を見るのも、また、誰かが第一の石を打ったら雨あられのように飛んできて、呻きながら死んでゆく娘の姿を見るのもたまらなかったでしょう。だから地面に身を屈めて、「次の瞬間どうなるか」と思う以外にはありませんでした。

 あのようには言ったものの、もし誰かが出てきて石を投げたらどうしようかと、ハラハラしておられたでしょう。「イエスはこの時、祈っておられたのだ」と、ある注解書には書いておりますが、果たしてどうでしょう。私だったら、次の瞬間どうなるかと思って堪えられぬでしょう。

(1973年)

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