達磨大師との問答

 『碧巌録(へきがんろく)』という、禅宗で大変重んじられている書物があります。その冒頭の第1則に、禅宗の祖師・達磨(だるま)大師と梁(りょう)の武帝との問答が書いてあります。今から1500年ほど前の中国でのことですが、当時の中国は南北朝時代といって、北は黄河の流域に魏(ぎ)という国があり、南は揚子江(ようすこう)一帯に梁という国があり、この2つの国が対立しておりました。

達磨画賛(霊源慧桃画)

 この頃、中国に仏教が広まったことを聞いて、梁の国に不思議な人物がインドからやって来た。その名を達磨といいました。それを聞いた武帝が、会いたいと望んで会った。そして達磨に、「如何(いか)なるか是れ聖諦(しょうたい)第一義」と問うたのです。「聖諦第一義」とは、いわば仏教の悟りの最も神聖な意味ということですが、それは何か、と聞いたわけです。

 すると達磨は、「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えた。「廓然」、もうガランとしておって、「無聖」、聖なるものは何にもない。この武帝という人は、非常に仏教を尊んだ人で、多くの立派なお寺を造りました。それなのに、どこにも聖なる場所などない、というのは一種の皮肉ですね。たいへん仏教が盛んになっているというので、せっかく中国にやって来たけれども、見たところお寺はいろいろあるが、ガラーンとして聖なるものは何にもない、と言います。

 それで武帝は、「朕(ちん)に対する者は誰ぞ」と聞きました。私に向かい合っておるあなたは一体何者なのか、と聞いたんですね。すると達磨は、「不識(ふしき)」、知らんと答えました。信仰深い皇帝として聞こえている人の前に立って、自己紹介もせず「不識」と答えた。人を馬鹿にするような話です。武帝は、「不遜きわまる奴だ」と思ったか、達磨の言わんとすることがわかりませんでした。達磨もまたがっかりして、揚子江を渡って隣の魏の国に入ってしまいました。

(1973年)

※「キリストの現在する所 第1回」はこちらをクリック
※「キリストの現在する所 第3回」はこちらをクリック