今日はヨハネ伝7章32節から読んでまいります。イエス・キリストがユダヤ教の大祭である仮庵の祭の時、エルサレムで教えていると、群衆の中の多くの者がイエスを信じて「もし救世主(メシア)が来ても、この人が行なったよりも多くのしるしを行なうだろうか」(31節)と言いました。

仮庵の祭 ユダヤ教の3大祭の1つで、毎年秋に行なわれる。エジプトから救い出されたイスラエルの民が40年間、荒野で天幕に住みつづけたことを記念し、1週間の間、屋外に建てた簡素な仮小屋で寝食などをする。

仮庵の祭で「西の壁」の前で祈るユダヤ人たち(エルサレム)

「わたしのいる所」とは

 群衆がイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人たちは耳にした。そこで、祭司長たちやパリサイ人たちは、イエスを捕えようとして、下役どもをつかわした。イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く。あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」
(ヨハネ伝7章32~34節)

 「群衆がイエスについてこのようなうわさをしている」というのは、この人こそ来たるべきメシア(ギリシア語で「キリスト」)ではなかろうかという噂のことですね。「うわさする」と訳されている「γογγυζω ゴンギュゾー」という言葉は、「つぶやく、囁く、不平を言う」などという語です。表立って言ったら、宗教家たちから咎められ、苛(いじ)められるから、こそこそとしか言えないのです。

 イエスが自分を捕らえに来た下役どもに言われた言葉は、原文に即して訳すと、「なお短い間、わたしはあなたがたと一緒にいる。そして、わたしをつかわした方のみもとに向かってゆく。あなたがたはわたしを捜し求めるであろうが見出さない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」となります。

 「わたしのいる所」という言葉は、「οπου ειμι εγω オプー エイミ エゴー」というギリシア語です。「οπου オプー」は「~の所」という意味ですが、この「ειμι εγω エイミ エゴー」は現在形で「わたしが現在する」です。あまり訳しすぎてはいけませんが、「わたしのいる所」の意味は、「現在わたしがいる所」ともいえるでしょう。イエス・キリストの御霊、あるいはお心というか、本質が今ある所、ということです。そこにあなたがたは来ることができない、と言われているのです。

(1973年)

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