信仰に定年なし

 日本では、老人になることは悲しいことだと思いやすいし、年老いても「私はまだ若いんだ」と若さを誇る人があります。しかし、聖書的考え方はそうではありません。老年には大きな意味があり、価値があり、老年にならなければできないことがある、と教えています。

 この世の仕事には定年というものがあります。しかし、信仰には定年はありません。神の側にあり、神の支配下に生きていればこそ、詩人は生きる力を得ていたわけです。それで、ますます神の力を100パーセント現してゆきたい、これがこの詩人の祈りでした。

 「私の敵は私に対抗して語り、私の魂を待ち構える者は共に相談して言う、『神は彼を見捨てた。彼を追って捕らえよ。彼を助ける者がないから』と」(10~11節私訳)。神から見捨てられたらもう自滅ですから、追いかける必要はないはずなのに、人は追って捕らえてやろうと言う。詩人の強さは、神と共に生きている点でした。だが、あの男も年取ってきたから、神様もお払い箱にするだろうと思ったのが、不信な敵どもであった。

 私は、時にこういう悪い噂を聞きます、「手島も、この頃は老いぼれたなあ」。そうです、率直に認めます。しかし、私はなお、心かきたてるように「主様! 主様!」と言って、すがりついてゆけるお方を知っています。これが私の強みです。また、皆さんの強みだと思うんです。

 自分の力を頼みにして生きていた間の信仰は、本物ではありませんでした。しかし、自分の力も尽き果て、無力になればなるほど、神にすがりついて生きる、これこそ本物の信仰です。

 詩人と同様に私も叫びます、「神様、私から遠ざからないでください。急いで助けてください」 と。このような単純な信仰を私はもっております。この詩人のような信仰をもって、なお生きてゆこうと思う。信仰は難しい理屈ではありません。ほんとうに生きているかどうかが問われます。

(1967年)

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