直観的な悟り

 しかし、天国を語るといっても、地上の言葉でしか語れません。それが、このヨハネ伝の中でイエス・キリストの苦心されている点です。見えるものを表す言葉によって、目に見えない世界を表している。たとえば人の心のことを語る場合でも、「岩のような頑固さ」といえば、人間の頑(かたくな)な精神を表す意味にもなります。また「世の中の冷たい風」などといえば、冷たい人の心というものを感じるでしょう。みんな外側の出来事です。風、冷たい、などということは自然現象です。しかし、精神現象にも翻訳できるんです。

 また、幕屋の雰囲気は温かい、と人は言います。どうしてか。実際の温度はちっとも変わりません。けれども、それはその人の心の温度が変わっているのです。だから、この世の冷たさに泣いて、暗さに泣いて、光を求めて、温かさを求めて幕屋にやって来るんです。これは精神現象ですが、精神現象というものを説く場合にも、地上の見ゆる現象に託して語る以外にありません。ましてや、天国のことを語る場合はなおさらです。

 このように考えてきますと、イエス・キリストが「わが肉を喰え、わが血を飲め」と言われた時、「人の肉が食えるものか、人喰い人種じゃあるまいし」と言ってみんなが躓(つまず)いたというのは、コレスポンドする心がなかったということですね。

 それは宗教的な知恵でして、仏教では「悟り」といいます。ハッと悟ることです。悟りは理屈じゃありません。説明を聞いて納得することとは違うのです。このような直観的なものが開けない限り、どうしても宗教はわかりません。では、イエスは何を言おうとされたのでしょうか。

(1973年)

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