幼な子の純真さで

 たとえばルカ伝を読みますと、イエス・キリストが72人の弟子たちを伝道に遣わされましたが、彼らが喜んで帰ってきた時にこう言っておられます。

 「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。……」。そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした」
(ルカ伝10章18~21節)

 ここで「幼な子に」とあるが、イエス・キリストは、宗教というものは知恵のある人や賢い人、インテリなどに必ずしもわかるものではない、と言われるのです。

 それで、理屈っぽく宗教を議論する人たちがあると、私は非常に嫌うんです。こういう人は、感受性がないから驚きもしません。草花を見ても、葉は緑で、花は白い、赤い、紫色だ、と機械的に思うだけです。そこには宗教はありません。

 だが、イエス・キリストはここで「天と地の造り主である父よ」と言って、ご自分の神様を呼ばれた。すなわち、天と地は神が支配しておられる。それで、一つの神が支配しておられるから、天といい、地といい、何か相応ずるものがあります。このことがよくわかっていないと、どれだけ聖書を読んでも、聖書の文字面を読むだけに終わります。

 「これらの事」とはいろいろな意味にとれますが、天と地が相呼応する世界のことでしょう。それは知恵のある者や賢い者には隠されていて、どれだけ理屈で詮索したってわからない。神学者とか哲学者には、また教会生活の長い信者さんで、理屈でこね上げたような頭の人にはわからないのです。隠れてしまうのです。かえって幼な子のような者に現された。幼な子は純真です、純粋です、無垢です。汚れない心をもっています。それでイエス・キリストがいつも「幼な子のごとくならなければ、天国に入ることはできない」と言われるのです。

(1973年)

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