恐れという問題

 ところで、私たち人間はなぜ恐れるのでしょうか。ここで「弟子たちは恐れた」とあります。他の福音書を読んでも、5000人のパンの奇跡を見た後に弟子たちが海に出て恐れた、と書いてあります。その時、「なぜ恐れるのか。どうして信仰がないのか」と、キリストは弟子たちを叱っておられます。

 不信仰の一番の特徴は、恐れ、不安があるということです。恐れるということは、神を信じないことです。神の愛の保護を信じないから恐れるのです。恐れとは信仰の反対ですから、恐れながら信仰するのではだめです。

 たとえば先日、ある人を東北の伝道に推薦しました。さて、いよいよ行かれる日になりまして、私の所にやって来られた。すると奥さんが、嬉しくなさそうな顔をしています。

 「行きたくないの? どうして?」と聞くと、

 「怖い。行った先で務まるかと思うと、恐ろしいです」と言われます。

 「でも、神は愛だよ。神が愛ならば怖がることないじゃないの」

 「それはわかっています」と言われるけれども、わかっているのと、神の愛を感じているのとでは別のことですね。

 このように、誰でも恐れるということはあると思います。しかし、なぜ恐れるのか。恐れというものは、人間が生まれながらにもっている感覚ではありません。生まれたばかりの赤ちゃんは、大人のもつような恐れは知らないといわれます。ただ、大きな音を聞いて驚いたり、高い所から落ちてビックリしたりすると、泣きだしはします。しかし、人間は成長するに伴って、恐怖というものを感じるようになってくるのです。自分が破滅しそうだと思うようになり、自分に何か損害や危害が加わるのではないか、と感ずるから恐れるのです。

(1973年)

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