聖書を読みつつ学ばねばならぬことは、神は人格的な存在であるということです。人格的な存在でないと、私たちの悲しい苦しい涙を拭ってはくれません。単なる哲理、原理は私たちを救わず、深いところから人間を温めてくれません。今日は、ヨハネ伝5章39節から読んでゆきます。

 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。わたしは人からの誉れを受けることはしない。しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
(ヨハネ伝5章39~42節)

 ここでいう聖書とは、旧約聖書のことです。イエス・キリストの時代には、新約聖書というものはありませんでした。

 「なぜ私の信仰は進まないのか」と言う人があるが、そういう人は、旧約なんか古くさいから読まない、と勘違いしているのではないかと思います。これは大きな過ちです。新約聖書は旧約の土台の上に咲いた花です。キリストが、「聖書はわたしについて証ししているのだ」と言われるからには、旧約を否定したら新約の信仰、そしてキリストはわからないのです。

(1973年)