いと高きところには 栄光 神にあれ
また地上には 平安あれ
人には 喜悦(よろこび)あれ
(ルカ伝2章14節)

 それは2000数年前の春4月か、それとも冬の12月25日か、その正確な日を私は知らない。

 ユダの荒野、ベツレヘムの草原に、夜更けても野宿して羊の群れを守る牧人たちがあった。「夜の時刻を守りつつ」とあるから、夜空を仰いで星座の運行を眺めつつ、時間を計っていたのであろう。

 パレスチナの空気は清澄なので、日本と違って数倍も多くギラギラと大きな星が、ぎっしりと天蓋(てんがい)をおおい包んでいるように見える。静かに夜空を仰いでいると、何かしら魂が天界に引き込まれそうになり、天国が手に届くようにも近くに感ぜられる。大声を出せば天がこだましそうだ。

草をはむ羊の群れ(イスラエル)

草をはむ羊の群れ(イスラエル)

 汚れた私ですらそんな心になるのだから、鋭い夜目をもつ純真で素朴な牧人たちには、もっと神秘な栄光が感ぜられたのであろう。

 たちまち天の一角から光が射してきて、牧場を照らすとみるや、牧人たちの傍らに主の天使が立って、おごそかに「大いなる喜びのメッセージ」を告げた。すなわち、世を救うメシア(キリスト)たるべき人物の誕生の告知であった。待ちに待ちし預言の成就である。

 このメッセージを一人の大天使が宣べおわると、たちまちに湧くように数多くの天の軍勢が、夜空も眩いほどに輝きわたって出現し、天使に唱和した。

いと高きところには 栄光 神にあれ
また地上には平安あれ 人には喜悦あれ!

と賛美し合うのであった。

 イエスのご降誕は3つの祝福を意味する、と天使は語った。

 第1は天上の栄光、第2は地上の平安(平和と繁栄)、第3は人間の祝福感である。

 この3重の至福が1つに織り成される世界こそ、メシアの国である。

 「ひとりの嬰児(みどりご)が我らのために生まれた。その名は平和の君と称えられる」とイザヤも預言した。このイエスを初穂に、続々と同じ新人類が生まれ、殖え広がって、やがては地球上にメシア時代の祝福が到来するであろう。これぞ神が夢見たもう聖なる世紀なのである。

 ひとりの人間がこの世に呱々(ここ)の声を上げたことで、全世界の歴史に大変化を与え、人々の心に大きい感化を残す例は少なくない。

 アレキサンダー大王、チンギスハン、ナポレオンなど、これら一個人の出現で世界の形勢は一変せしめられ、また釈迦、マホメットなどが、どんなに宗教的に、思想的に大きな感化を与えつつあるか。一個人というにはあまりに大きな存在力であることに驚く。

 しかし、イエス・キリストのご出生は、これらの大偉人の出現とは全然、類を異にしている。それは、イエスが新人類の初穂であり、彼がもたらした永遠の生命を人々に嗣がしめて、霊的に新生せしめるにあるからである。

(1971年)