「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

手島郁郎とイスラエル

イスラエル・スロムニツキー
Prof. Israel Slomnicki
(ヘブライ大学農学部名誉教授)

 1954年、夏のある日、私と妻レアとは広島から長崎へ向かって汽車の旅をしながら、静かにへブル語で会話を楽しんでいた。私たちの向かい側の座席に座っていた一人の男は、ふと顔をあげて私たちを見つめたが、ジッと話に耳を傾けているようだった。

 突然、彼は私たちに言った。「あなたがたが話しておられるのはヘブル語ではありませんか?」。

 世界には他にいくつもの言葉が存在するのに、どうやってこの人に私たちの言葉がわかったのだろうか? ビックリして、私たちは彼に尋ねた。

 「あなたはどうして、私たちの言葉がヘブル語だとわかったのですか?」

 彼は、私たちがイスラエル人らしいと感じたこと、だから恐らくヘブル語を話しているに違いないと思ったことなどを話してくれた。鞄の中から分厚い本を取り出すと、「これは日本語の聖書です」と彼は言った。彼が開いてくれたページの章の見出しには、大きな活字でヘブル語が記されてあった。「私がこれを書いたんです」と彼は言うのだった。

 それから彼がイスラエルの近況について質問したので、私たちは話しはじめた。

 「イスラエルは1948年の建国当時、60万人であった人口が、数年間に世界じゅうから波のように押し寄せる移民のために増加してしまった。帰国を希望するすべてのユダヤ人を受け入れるという国策を達成しようとして、イスラエルは極めて困難な戦いに挑んでいたのである。乏しい資源を分かち合うために国じゅうが厳しい耐乏生活を強いられていた。バスの数は不足していて、人々は列を作って長時間待たなければ乗車できなかったし、むろん食糧も不足していた。卵、肉、野菜、牛乳その他の商品の供給が限られていたため、配給制度がしかれていたのだった。新しく到着する移住者たちを収容するために、天幕やバラック小屋が急ごしらえで各地に建てられた……」

(1976年)

手島郁郎とイスラエル
 
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