「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

詩篇1篇講話:恵福への道

手島 郁郎

幸せだ! その人は
悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
嘲る者の座にすわらぬ者は。
(詩篇1篇1節)

 冒頭の第1句「アシュレー ハイッシュ」というへブライ語は、「幸せだ、その人は」と訳すべき感嘆の叫びです。「幸せ(アシュレー)」というへブライ語は複数になっておりますから、「もろもろの幸福」という意味です。最初から「さいわいだ!」と言って、溢れるばかりの感動を述べています。これは、この詩人が自分でしみじみ「幸福だなあ」と思って、その感じを率直に訴えているだけであります。

 普通の解釈では、この詩篇を「悪しき者や罪人の道に立って歩んだりしないならば、幸福が約束される」と何か倫理的な教訓、幸福の道を説くもののように読んでいます。とんでもない間違いで、それに日本語の訳も悪い。詩人は、「アシュレー! 幸福だなあーッ! 悪しき人々のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、神の座に来てよかったなあーッ、自分は」と言う。

 これは、あたかも主イエスが『山上の垂訓』の冒頭から「恵福なるかな、心の貧しき者よ!」と言って、「恵福なるかな、マカリオイ」と9回も呼ばれたのと同様です。

 自分が福音の人、恵福の人でなければ、福音を説くことはできません。悲しそうなしかめっ面をして、寂しそうに「信仰、信仰」と言いましても、それでは本当の聖書の宗教には生きていないことを表しています。「さいわいだ!」と言い合える仲間でこそ、聖書を生きていると言うことができるのです。

 朝、私は目が覚めると、いつも心臓がどきどきして両眼にはいっぱい、涙を浮かべております。「うれしいなあ、神様! 私はなんと幸せなんでしょう!」と口ずさんでいます。そして、自分はこの年まで生きてきてほんとうによかったとしみじみ思う。どうしてか? 人の知らない「さいわい」をもっているからです。信仰のない人には理解しがたい宗教的な喜びというものがあるんです。「アシュレー、幸せだなあーッ、私は!」とひとり内心に喜びを叫びながら、神への感謝に明け暮れております。

(1969年)

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