「原始福音キリストの幕屋」のホームページです。日本人の心で聖書を読んだ手島郁郎の創刊による月刊誌『生命の光』、聖書の講話、聖霊による回心の証しなどを紹介しています。

イスラエル建国における三つの試練

エラッド・ペレッド教授

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 私たち独立戦争の世代は次々と天に帰って、残る者はどんどん少なくなっております。もし私たちの子や孫たちが、「不可能とも見える困難な状況に置かれたとき、自分たちを支える力はだれが与えてくれるのか」と尋ねたら、私は「その答えはすでに賢者の時代に与えられている」と答えます。

 『もし私が自分のためにしなければ、誰がしてくれるのか。
 もし私が自分自身だけのためならば、私の存在は何なのか。
 もし今やらなかったら、いつやるのか』

 21世紀への準備ということについて、私たちと幕屋の皆様がたには多くの共通点があると思います。

 年輩者の世代は、固有の文化や教育を通して2000年、3000年もの深い根っこから汲もうとします。これに対して、世界じゅうの若い世代は、同じテレビや映画を観、同じ食べ物や飲み物で育ち、国際均一化現象を起こし、民族の独自性を守ることなど時代錯誤だと考える傾向があります。しかし、人間は機械によって何千も同じように作られた製品の一つになることでは満足できません。この2つの流れのぶつかりがあります。

 私には未来がどう展開するのか言い当てることはできませんが、手島先生を思うとき、ユダヤ人の哲学者アハッド・ハアムの「祭司と預言者」という論文を思い起こします。その中で「預言者は突破口を開き、新しい道をつくる人であり、その開かれた道を守る人が祭司である」という定義があります。この点から言いますと、手島先生は預言者であったと思います。そして、その預言者の影響はすぐに芽を出すとは限りません。時間がかかります。

 すべての民族、すべての文化は、この預言者的要素と祭司的要素の両方を必要とします。預言者が多すぎると社会というものは保てません。また祭司が多すぎても社会の前進はありません。いかにして少数の預言者と多数の祭司たちが共同しながら社会を進めてゆくか、このバランスを保つことが大きな問題です。

 最後に、私は、3年間イツハク・ラビン参謀総長(元首相)の補佐として働きましたが、ラビンの部屋のポスターに次のような言葉が書かれていました。

 「神様、
 どうぞ私に変えるべきことを、変える力を与えてください。
 どうぞ私には変えることのできないことを、甘んじて受ける勇気をください。
 そして私に2つの物事を見分ける知恵を与えてください」

 この言葉は私たちを今も導いてくれています。

(1997年)

エラッド・ペレッド Professor Elad Peled (1927年~ )

 イスラエル国防軍の将軍。退役後は文部次官、ベングリオン大学教育学部教授を歴任、コンピューターを使った教育方法の開発に携わってきた。1967年に初来日、幕屋との親交が始まった。

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