上野  義雄

ueno752nihon

 昭和20年(1945年)8月15日、私はミカン畑の中にあった仮兵舎の前で、祖国敗戦のラジオ放送を聴きました。

 当時、私は20歳。日本統治下の台湾で、台湾軍の工兵隊に所属しておりました。戦争末期に、軍司令部を台北市近郊の山地に移すことになり、日夜、山の中で穴掘りをしていたんです。突貫工事で、坑道の奥に司令部を置くということでした。

 ある夜、勤務の交替で坑道から出てみると、眼下に見える台北の町が、米軍の空襲で真っ赤に燃え上がっていました。

 それから間もなく、ラジオで終戦のご詔勅を伝える天皇陛下の玉音放送があったのです。雑音が多くて、何をおっしゃっているのかよくわかりませんでしたが、日本が戦争に負けたことだけはわかりました。その時の失望感といったらありませんでした。もう全身の力が抜けて立ち上がれなかったです。

 さらにその直後、私は結核にかかっていることがわかって、陸軍病院に送り込まれたんです。しかし、食べるものもなければ医者もいない。若い人たちが次々と死んでゆくのを見せられました。そんな惨憺(さんたん)たる状況の中から、不思議に私は九死に一生を得て、翌年、故郷の福島県相馬市に復員することができました。

(2015年 宇都宮市在住)