tsuru759furusa

鶴 初美

 私は、長崎の軍艦島で生まれ育った鶴初美さん(横浜市在住)に同行し、「軍艦島上陸ツアー」に参加しました。昨年(2015年)、明治日本の産業革命遺産として「世界文化遺産」に登録されてから観光客が多くなり、その日も観光船は満員でした。長崎港から約1時間、鶴さんの指さす方向に小さな島が見えてきました。
(聞き手:長原 眞)

鶴 初美 あれが軍艦島です。昔は端島といいました。島全体が軍艦のように見えるので、戦時中、アメリカの潜水艦が間違って魚雷を打ち込んだという話がありますが、空爆されることはなかったですね。

 今日のように波がない日は少ないんですよ。冬の海は荒れまして、座っていても、あっちに転げ、こっちに転げて、船酔いする人がいっぱいおりました。

 私は、炭鉱閉山後の廃墟を見るのが辛いので訪ねることはなかったのですが、来てみると、懐かしいですね。60年ぶりです。感無量というか、なにか一挙に子供のころにもどされた感じがします。

 島は、炭鉱部分と住宅部分に分かれていました。海底炭鉱でして、黒ダイヤと呼ばれる品質のよい石炭が採れましたから、景気がよかったですね。働く人たちの待遇もよくて、「三種の神器」といわれていた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が全国に先駆けてどの家庭にも普及しました。石炭は増産につぐ増産で、アパートが次々と建って、最盛期には、この小さい島に5000人くらいの人が住んでいたと思います。小・中学校もあれば、プールもありました。

軍艦島

軍艦島

 島全体が家族のようでした。お醤油が切れると、お隣に行って、「お醤油貸して」とか「お砂糖貸して」とか言ってね。長崎の町に出かけるのに、「ちょっとカーディガン貸して」と、靴やハンドバッグまで貸し借りしていましたね。江戸の長屋みたいな感じでした。

 叔父夫婦がアパートの上の階に住んでいまして、遊びに行ったら、祈っている人の絵がかかっていました。「おじさん、あれだれ?」と聞いたら、「キリストという西洋の神様だ」と言うんです。私が子供でしたから、それしか話してくれませんでした。心に残る絵でした。

(2016年)