手島郁郎は、宗教史上に偉大な足跡を残した人々の背後には、深い愛と祈りで多大な感化を与えた母がいたことをしばしば講義の中で語った。イエスの母マリヤをはじめ、聖アウグスティヌスの母モニカや、下の記事に出てくるジョン・ウェスレーの母スザンナなどである。

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手島 郁郎

 私は伝道者で尊敬しているのはジョン・ウェスレーです。そのウェスレーの母・スザンナは偉かったですね。ジョン・ウェスレーは赤貧洗うような貧しい牧師の子として生まれました。母のスザンナには19人の子供がありました。ジョン・ウェスレーはその15番目の子供でした。男としては5番目の子供です。そのようにたくさんの子供ですから、スザンナは毎日一人ひとりの子供全部にはなかなか尽くすことができませんから、学校の先生みたいに日課表を作って、19人の子供を毎日3人ずつ、特別の日をもうけて教え導くことを心がけました。

スザンナ・ウェスレー

 その事は後年、ジョン・ウェスレーがお母さんへ出した手紙の中で、「お母さん、木曜日の夜になりました。恋しくてなりません」と書いております。それはどうしてかというと、ジョン・ウェスレーが子供の頃、木曜の夜はお母さんに抱かれて、お母さんの膝元で信仰を学ぶ日だったからです。木曜日はジョンの日、土曜日は弟のチャールズの日だと決まっておりました。その時は、お母さんが1時間か2時間、子供を側に置いて、「あなたはどこが悪い、こうしたらいい」と言って教えたのでした。

 スザンナの子供の育て方は、白銀(しろがね)を鍛え上げるような精神的教育法でした。ただ鍛えるのではなく、深く愛して深く鍛えるという教育法でした。このスザンナの教育方針は、イギリスの人であれば誰でも知っているほどに有名な、また模範とすべきものです。

 ウェスレーは晩年にいたるまで、お母さんによって育てられた不思議な教育を追憶しております。たとえば、50歳くらいになったときに、「今日この日は本当に危なかった日である。今、生かされているのはお母さんのおかげである」と日記に書いております。それはジョン・ウェスレーが6歳のとき、彼の住んでいる家が放火されて丸焼けになったときのことです。火が出たとき、ジョンはひとり2階に取り残されました。お母さんが外からジョンの名を叫ぶ声に、ジョンが沈着に答えたから、無事救出されました。猛火に取り巻かれた場合、そんなに沈着にはできません。そのように焼け死ぬようなところを不思議に助かったのが、ジョン・ウェスレーでした。

 ウェスレーは、自分はあの6歳のとき当然死ぬはずだった、それが今もこうして生かされている。これはまったく神の憐れみ、神の恵みによるのだということを強く感じておりました。これはお母さんの信仰が防火壁となったのです。だからジョン・ウェスレーは抜きがたいような印象を、母スザンナから与えられております。

(1961年 熊本市辛島町)

ジョン・ウェスレー(1703~1791年) 18世紀の英国国教会の司祭。米国伝道に向かう船が嵐に遭遇。その中で平安に満ちたモラヴィア兄弟団の信仰に触れ、深い影響を受ける。賛美歌作詞者の弟・チャールズと共に、信仰覚醒運動(メソジスト運動)を指導した。